漸進より斬新だ。ゼンシンでなくザンシン。ラグビーのリーグワンは2022年1月7日、国立競技場における埼玉パナソニックワイルドナイツとクボタスピアーズ船橋・東京ベイの激突で開幕する。そこに何を見たいか。
工夫を凝らしたセレモニー? あってもよいがなくたって構わない。さらにたくましく、また引き締まったFWやBKの姿? 意識が高く使命感に満ちたラグビー選手のことだからどのみちそうなる。はっきりと目にしたいのは「革命」である。
国内最高峰のリーグはかくもフェアでオープンに生まれ変わった。「漸進=順を追って少しずつ進む」のでなく、「斬新=際立って新しい」生き方を開幕の日に発信する。そうでなくては存在はかすむ。
パンデミックは人々の意識を変えた。スポーツについても同様だろう。五輪もパラリンピックもひとりずつのアスリート、ひとつひとつの闘争や競争や演技は感動を呼んだ。簡単に述べると、おもしろかった。だからこそ大がかりな式典、統括組織および周辺の「役員」や「関係者」の貴族的な待遇なんて無用だった。
新型ウイルス拡大のもとでの開催に反対の声。本心では開幕を望む立場。意見がぶつかるのは当然であり、むしろそれが健全であって、みずからの信じるところを堂々と明かす態度がスポーツそのものを毀損しないこともわかった。
「Black Lives Matter(黒人の命も大切だ)」。性暴力被害を訴える「#MeToo」。気候の公平性を求める「Climate Justice」。ここ数年、それらの運動は現状を突きつけた。LGBTQ(性的マイノリティー)やジェンダー(男性・女性であることに基づき定められた社会的属性=国連女性機関の定義)にまつわる問題や課題は、これからいっそう可視化され、公正なあり方へ社会は動く。動かなくてはならない。
スポーツ界は地球規模でそちらの方向へ進む。パンデミックのもたらす変化、社会的公正の獲得の潮流のただなかにリーグワンは歩みを始める。チャンスとするためには漸進では弱々しい。一夜にして、世の中を先取りするような「革命」を起こさなくてはならない。変革でなく、あえて革命と書きたいのは「短期に成し遂げる」必要があるからだ。
チームづくりも同じだろう。戦績の停滞しているクラブが体制を刷新する。最初のミーティングで新監督が方針を説明する。そのとき「前のチームにもよいところがたくさんあった。うまくいかして徐々に変革していきたい」では迫力を欠く。
ここは「大きく一夜で変えます。革命です」と吠えるか、かえって小くささやくと、選手はもちろん、ファンや報道する者の意識も揺さぶられる。前のチームのよいところは正確に調査、分析して胸にとどめ、こっそりいかせばよいのだ。そこにいる選手の幸福のためなら前任者にいくらか礼を欠くのもやむをえない。
仮にトップリーグがトップリーグのままでも、たとえば「LGBTQ」や「反レイシズム」についての理解や学習や実践なくして未来の居場所はない。まして、せっかくの新リーグ、ここはぜひ力強く、スポーツ界の先陣を切る勢いが求められる。
それから理事会など意思決定のプロセスのすべてをメディアに公開しよう。「記者がいてカメラに囲まれると本音の議論ができない」。ならば「スポーツの役職」に就かなければよいのだ。新リーグの成功のキーワードは「ここまでするか」である。
昔、ざっと30年ほど前、元日本代表監督の大西鐵之祐さんに叱られた。
「君たち記者の仕事は協会の会議の机の下にもぐりこんでも隠された情報をつかむことだ。いま、そんなこと誰もしない」
主旨はこうだった。たとえば過度の衝突で負傷者が頻発している。協会は隠す。それを新聞で明らかにする。その記事が競技ルールの改正につながるかもしれない。どうか、リーグワンでは、取材者がテーブルの脚のところで息をひそめなくてすみますように。