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【ラグリパWest】40、100、100。常翔学園 [大阪府]

2021.10.08

常翔学園を率いる野上友一監督。チームが今年、全国大会に出れば40回目。2勝すれば100勝、学園は来年100周年とキリのいい数字が重なる。両手に持つのはラグビー部の看板。右は旧校名の大阪工業大学高校時代のものである



 きりのいい数字がそろう。
 40、100、100。

 常翔学園がこの年末年始の高校全国大会に出場すれば、大阪府代表として40回目。連勝すれば通算100勝。来年は始祖となる関西工学専修学校ができて100周年になる。

「つらなりがあるのはすごいことやね」
 野上友一は感慨深い。ラグビー部の部長兼監督は社会科の教員でもある。還暦を3つ超え、頭には白いものが混じる。

 そのジャージーは紺に赤2本線。初出場は45回大会。先代の荒川博司が着任して4年目。1966年だった。大会は今年、101回を迎え、常翔学園の優勝は5回を数える。

「毎年の積み重ね。目指していたわけじゃない。でも、5勝しても20年かかるんや…」
 大会の最大試合数は5。毎年優勝したとしても新生児が成人するまでの年月が必要である。その長さが野上の中を駆け巡る。

 毎年、色々な出来事が起こる。この夏はコロナ禍に見舞われた。

 8月12日、長野・菅平での合宿を打ち切って下山する。重症者はいないまでも、陽性者は37人。選手100人の3分の1以上に及んだ。2週間の自宅待機を経て、登校許可が下りたのは半月後の27日。最初は学年ごとの分散練習だった。9月末、非常事態宣言が解消され、全体練習に移行する。

 その災難の中、最上級生の心がけのよさに感動する。最後にかける意気込みが伝わる。
「3年の罹患者は1人やった。同じミーティングや練習をしてね。寝てる時もマスクをしていたんやないかな、3年は」
 技量にかかわらず人間的成長を見る。
「やっぱりおまえら3年や、って言うた」

 その3年生は5人が高校日本代表候補だ。両PRの伊藤潤乃助と笛木健太、HO大本峻士、LO中村豪、FB神田陸斗。2年生の田中景翔を合わせれば6人になる。この人数は東福岡(10)、桐蔭学園(8)に次ぎ3番目の多さ。昨年から卒業で正選手14人が抜けた。残ったのはSOの仲間航太だけだが、屈指の層の厚さがある。100回大会は3回戦敗退。流経大柏に17−21だった。

 常翔学園は選手を型にはめない。ある強豪大学のリクルーターは言う。
「ラグビーをのびのびやらすから、高校で燃え尽きていない。だから大学で伸びる」
 野上は表情を緩める。
「頑張るのは自分やから」
 大阪工業大学高校から2008年に常翔学園になる。名前と同じ。指導法も部員の満足度を考えるように変化する。

 創部は1937年(昭和12)。荒川が着任して強くなる。教え子の野上は大阪経済大を経て1983年、母校に戻る。現役時代はフロントローだった。
「帰ってくるのを待っていた、と荒川先生から言われた。心を鷲づかみよね」
 コーチとして携わりながら、7年後、荒川から監督を託される。



 野上は監督として58勝。荒川は40勝。合わせて98は歴代3位の記録である。秋田工の134、天理の105に続く。39の大会出場数は歴代10位。最多は秋田工の68だ。

 優勝5回は歴代5位。東海大大阪仰星、國學院久我山、目黒学院と並ぶ。最後の頂点は92回大会(2012年度)。今夏の東京オリンピックに主将として出場した松井千士(ちひと、=キヤノン)を擁し、決勝戦で御所実を17−14で退けた。野上がひとりで達成した記録でもある。荒川は20年前、食道がんのため世を去っている。視力を保護するためのサングラスがトレードマークだった。

「荒川先生の口ぐせは、『無理するな』やった。その方針は続いている」
 勝利にのみにこだわり、猛練習を課すことはいとわれた。ケガを誘発し、ラグビーを嫌いになる。その言葉が野上の中で今も生きる。型にはめない指導もその一環である。

 常翔学園の定年は64歳。来年は最後だ。
「それからどうしようかなあ、と考えている。誘った子もいるから、その進路には責任を持ちたい気持ちはある。まあ、監督が決まったら、そのご意向に従うよ」
 部長になった荒川もそうだった。監督に昇格した時、お伺いをたてに行った。
「おまえが監督や。おまえが決めろ」
 そう、言われた。

 常翔学園のグラウンドは校舎の北側、淀川の河川敷にある。国交省の管轄で手を入れられないため、土のままで使っている。その分、内庭(ないてい)を昨年11月、人工芝化した。野上は満足感を漂わせる。
「正規のグラウンドの5分の1くらいの広さやけど、めっちゃいい」
 コンタクト練習などが苦もなくできる。

 さらに内庭の東側、部室のあった建物は取り壊され、新グラウンドの建設が始まっている。フルサイズの人工芝。淀川の真横で地盤が軟弱のため、基礎工事に時間はかかるが、4年後の2025年には完成する。

 その時まで、出場数や白星をどれだけ積み上げているのか。全国大会予選は10月24日が初戦になる。3つ勝てば花園に届く。

 このチームの公式戦黒星は2つ。どちらも大阪桐蔭につけられた。22回目の選抜大会は8強戦で22−33、春の大阪府総体は18−42だった。野上は振り返る。
「じっくり構えられたら、ボロが出た」
 選抜につながる近畿大会では決勝で34−17と勝っている。府予選はお互い3校のAシードのため、大阪桐蔭と地区は異なる。雪辱戦があるとすれば全国大会になる。

「悩んだ時はふっと荒川先生のことが思い浮かぶ。先生ならどうしはったやろう、って」
 恩師の記憶とともにあるチーム作り。野上は強豪の名をさらに磨き上げ、次の世代につなげていく。

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