ラグビーリパブリック

「Improvementが一番の喜び」。車いすラグビー ケビン・オアーHCの横顔

2021.10.02

陽気で情熱家。53歳。(撮影/張 理恵)



「Work ! Work !」
「ハシッテ! モットハシッテ!」
 会場に響き渡る声の主は、車いすラグビー日本代表ケビン・オアーヘッドコーチ(以下、HC)だ。
 試合が終わると声がかれるほどのパッションは、苦しい時ほど背中を押す。

 熱く吠えたかと思えば、戦況を冷静に見つめ、素早く選手交代の指示を出す。
 そして、気づいたことをすぐにベンチにいるプレーヤーたちと共有する。

 22歳のときにインターンシップでコーチを始め、今日までその指導歴は30年以上に及ぶ。
 当時まだ新しいスポーツだった車いすラグビーを指導するため、誰かのマネではなく独自のスタイルを追求した。
 コーチを務めたクラブチームは全米選手権で10年連続決勝進出、5回の優勝を果たした。

 アメリカ代表のHCを務めたアテネパラリンピックでは銅メダルを獲得、ロンドン大会ではカナダ代表を銀メダルへと導いた名将。
 続くリオ大会もカナダのHCとして臨んだが、3位決定戦で敗れ表彰台を逃した。銅メダルを手にしたのは、日本だった。
史上初のメダル獲得に沸く日本をぼんやり見つめながら、「コーチとしてのキャリアは終わった」と肩を落とした。

 しかし運命とは何が起こるかわからない。メダルを奪い合ったライバルから代表HCのオファーが来たのだ。次回のパラリンピック開催を控える日本からだった。
「開催国のコーチを務められるのは、とても光栄なことだ」
 そうして2017年、日本代表とケビンHCのジャーニーが始まった。

 チーム作りが始まって間もない2017年5月、「ジャパンパラ競技大会」でのインタビューでケビンHCは日本代表の印象についてこう語っている。
「日本の選手たちはとても礼儀が正しく、経験豊富なベテラン選手であっても私の言葉に耳を傾け、新たな挑戦に取り組んでくれる」

 もっと強くなりたいと熱心に学び、トレーニングに励む選手たちの姿勢は、「『improvement(上達、進歩)』が指導者としての一番の喜び」だと話す自らの情熱を掻き立たせた。

「チームで戦う集団になること」を目指し、フィジカルや連係プレーの強化に加え、メンタルの強さや決断力といった試合中の心理にフォーカスした練習もおこなわれた。
 そして、代表の強化と同時に進めたのが「東京2020大会の先を見据えた選手発掘と育成」だった。
 代表中心メンバーの多くが40代に差し掛かる中、今後の競技存続のためにも重要な課題となっていた。
 国内大会の視察や、他競技団体との連携を図りながらリクルート活動に取り組んだ。

 今回の東京パラリンピック初出場組5名のうち、2017年に新たに強化指定選手として招集されたのが4名。4年あまりで育成選手の強化が急ピッチで進められたことがうかがえる。
 選手たちにいつも伝えたのは、「基本に忠実にプレーする」こと。徹底的に叩き込まれた「基本」は、簡単には崩れないチームを作り上げた。

 どんなに練習の強度が増す中でも、ケビンHCには大切にしていたことがあった。それは、車いすラグビーを始めてまだ1年、高校生で初めて日本代表強化合宿に参加した橋本勝也を思う言葉に表れている。

「カツヤは日本にインパクトを与えるプレーヤーになるだろう。だけど今は彼にプレッシャーを与えたくない。車いすラグビーを楽しんでほしい」
 選手一人ひとりと向き合い、スポーツのその先の人生までも思いやる温かい言葉だ。



 楽観的で、ユーモアと人間味にあふれ、笑顔で場を和ませる。一方では「頭を使え!」と厳しい口調で叱る。この全部が、ケビン流だ。
「選手がベストであるためにいろいろなツールを使います。笑いであったり、大きな声で叫ぶことだったり。オーケストラでいうと指揮者のように、自分が持っているツールをすべて使うというのが私のやり方です」

 ラグビーを離れれば(失礼を承知で言うと)「おちゃめ」という形容詞がしっくりくる愛されキャラ。
 生卵はちょっと苦手だがすき焼きが大好き、しゃぶしゃぶ、焼肉も大好物。
 趣味はバス釣り。合宿で日本滞在時には釣具屋に行くのが楽しみで、JAPANのロゴが入ったリュックから自慢げに日本の釣り雑誌を取り出して見せてくれたほどだ。
 日本の文化を愛し、日本語のボキャブラリーも着々と増えている。

 東京パラリンピック開幕の1週間前、ケビンHCは日本代表と歩んだ4年半をこのように振り返った。
「日本チームとはとても楽しい(fun and interesting)旅を続けてきています。リオパラリンピックで日本は金メダルを獲る能力があるチームだと思っていました。コーチに就任して、その能力にさらに磨きをかけてきました」

「これまでの道のりを振り返って満足しているのは、自分もチームの一部になれたことです。私のチーム、彼らのチームではなく、『私たちのチーム』になれたことがすごく幸せです。自分もチームを信じ、チームもコーチとしての能力を信じてくれた。お互いが信じ合い、多くの成功を成し遂げることができました」

 東京2020大会で日本代表は2大会連続の銅メダルを獲得した。
 最後の戦いを終え、選手たちはケビンHCへの思いを口にした。
「ケビンに金メダルをかけてあげられなくて申し訳ない」
 ディフェンスの要・今井友明は涙を浮かべて、感謝の言葉とともにそう語った。

 そして、パラリンピック5大会連続出場のチーム最年長・島川慎一は、銅メダルの悔しさを口にしながらも清々しい表情で語った。

「自分の強みを引き出してくれて、彼が来てから僕も成長できた。ケビンのプレッシャーはすごかったと思う。コロナ禍でアメリカに家族を残し(来日時には)隔離期間がある中でも一切ストレスを見せずにやってくれた。感謝しかない。20年以上やっていてまだ学びがあるこの競技はすごい。『君はもう使えないから』とケビンに落とされるまで続けていくつもりだ。今、成長期なので」

 パリ大会までの続投が決まっている。
 東京パラリンピックの3週間後には育成合宿をスタートさせた。
 ケビン・オアーHCは言う。
「車いすラグビーをやってみたいと思ったら、いつでも私に連絡をください!」

 原石を探し、磨いてゆく地道な活動は続く。
 2024年のパラリンピックに向け、車いすラグビー日本代表とケビンHCの新たな旅が始まった。

日本代表強化合宿にて。2019年撮影。(撮影/張 理恵)