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【ラグリパWest】チームのため、母のため。松井祥寛 [近大FWコーチ]

2021.10.01

近大の開幕戦、天理撃破に貢献したFWコーチの松井祥寛さん。穏やかで控えめな人柄は魅力がある。右の銅像は近大の初代総長及び理事長の世耕弘一(せこう・こういち)氏。東大阪キャンパスの西門に建つ。4代目理事長で参議院議員の弘成(ひろしげ)氏は孫にあたる



 取材は乗り気ではなかった。
「僕ではありません。みんなで勝ち取った勝利です」
 松井祥寛(よしひろ)は控えめだ。

 フォワードコーチをつとめる近大は天理を23−7(前半10−0)で破る。9月19日、関西リーグの開幕戦。天理は前年度の学生王者だった。近大はコロナの影響もあってリーグ戦最下位の8位。この白星は漆黒ジャージーのリーグ戦連勝も32で止める。

「スクラムでプレッシャーをかけることができ、バックスが3本すべてのトライを獲りました。大西と岡野が頑張ってくれました」

 大西優希はスクラム、岡野干城(たてき)はバックスを主の持ち場とするコーチだ。松井はどこまでも人に譲る。

 おくゆかしさとは別に、近大のフォワードとバックスを結びつける主戦術、そのパスラグビーは松井から出ている。

 ただ、天理戦ではそのパスラグビーを封印した。前8人は走り込んでボールをもらう。その背中には密着せんばかりに追走者がつく。2人以上で押し込み、ボール保持を続ける。
「モメンタム(勢い)をつけたいので、今回、フォワードはそのまま行かせました」
 崩し方を2パターン持つ。充実する。

 パスラグビーの起源は神戸製鋼。松井は近大卒業後、バックローとして8年、引退後には分析として2年を過ごす。チームとの距離は今でも近い。この戦術を使い、深紅のジャージーは2018年度、2回目のトップリーグ制覇を果たした。

 ポイントができれば、フォワードの3人が三角形を作る。その頂点の後ろ、「バックドア」と呼ばれる位置にスタンドオフが立つ。基本は左右へのパスだが、後方からスタンドオフが外に走り抜ける選択もある。捕まればもうひとつの三角形が構えている。選手の持ち場を決めるポッドの一種だが、相手はコンタクト、パス、ランの判断を迫られ、守りにくい。

 スタンドオフは適宜キックを放ち、チームを前に出す。地域を考え、疲労度を測るこのポジションが要(かなめ)になる。
「2年前から練習をしています」
 神戸の優勝時にはその位置に世界一のダン・カーターがいた。今年の近大には主将の福山竜斗をはじめ、河井優、森元翔紀、半田裕己ら司令塔をこなせる選手が出場する。

 松井は目標を口にする。
「まずは関西制覇。そして、大学選手権でベスト4に入ることです」
 戦術を得た今、その期待は高まる。1949年(昭和24)を創部と定める部の関西制覇はない。最高位は3回の2位。選手権には9回出場。39回大会(2002年度)は31−56で法政に敗れた。最高はこの2回戦進出である。



 松井は今年12月で44歳になる。競技は東生野中で始めた。大阪桐蔭では歴史を作る。母校初の花園出場は高3時。75回大会(1995年度)では3回戦に進出する。伏見工(現・京都工学院)に17−31。現在は出場回数を14に伸ばし、優勝と準優勝を記録している。

 近大への大阪桐蔭からの入学も初めてだった。今年のチームには、副将でプロップの紙森陽太ら6人のOBがいるが、この時も道を作った。体の強さで1年から公式戦出場。2年と4年時には関西リーグ2位。2年時には近大初の選手権出場にも貢献した。34回大会は初戦で帝京に21−45で敗れている。

 大学では生涯の伴侶を見つける。妻の恵は同級生マネージャーだった。卒業後、鍼灸師の資格を取り、現在は大阪・本町で「MEGU ACUPUNCTURE STUDIO」を経営する。2人の間には小1の娘、十逢(とあ)がいる。

 神戸では入社4年目の2003年度、初代トップリーグ王者を経験した。
「今、神戸のラグビーが、こういうことやったんや、ってわかるようになりました」
 スペースを見つける、まっすぐに走る、そこに放る…。選手や指導者として平尾誠二の真髄を教える側に回って理解する。

「神戸ではラグビーの本質を教えてもらいました。今のパスラグビーも基本は同じ。ただ、当時は感覚でやっていました」

 職人気質。マニュアルはない。見て、覚えるだけ。体得するのは難しい。その時代を松井は生きた。だからこそ、コーチングの重要性がわかる。パス練習では細かく、捕球者の手の位置から教えている。現役時代は182センチ、95キロ。当時からは想像できないほどその体はスリムになった。

 2008年の現役引退後は、大阪桐蔭のコーチや神戸の分析を経て、2014年にコーチとして母校に帰る。肩書はヘッドやフォワードチーフなど変わったが、一貫して現場にいる。

 近大では8年目。この夏、母・明栄(あきえ)をがんで亡くす。67歳だった。
「同志社戦は四十九日にあたります」
 関西リーグの2戦目は10月9日、滋賀・布引である。相手は天理と並ぶ優勝候補だ。

 母は父・泰男とうどん屋を切り盛りして、長男の自分を含め、4兄弟を育て上げた。
「忙しすぎて、試合を見に来てもらったという記憶がありません。花園に出た時も来られませんでした。母は自分が結果を出せないまま逝ってしまいました」

 チームだけでなく、個人としても勝たなければならない理由ができる。
「しっかりとした報告をしたい、という思いはあります」
 亡き母の魂を感じながら過ごす2021年のシーズン。これまで以上に全身全霊で、青いジャージーと向き合っていく。

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