ラグビーリパブリック

畠山健介のボストン挑戦記[第3回(最終回):人生を豊かにするためにできること]

2021.09.19

ランタンが描かれたフリージャックスのエンブレムを手に(本人提供)

 スポーツと文化。
 人の暮らしの中にあるスポーツ。
 そして、スポーツカルチャーとスポーツビジネス。
 畠山健介(元日本代表プロップ=キャップ78/仙台育英→早大→サントリー→ニューイングランド・フリージャックス)は日本にいるときから海の向こうに思いを馳せ、スポーツ大国のイメージを頭の中に思い浮かべていた。

 インターネットや書物、識者とのコミュニケーションを通し、アメリカにはどうしてスポーツが根付いているのか自分なりに想像した。
 畠山はそれを「仮説」と言う。

「自分の中で、いろんな仮説を立てて、スポーツの存在価値について考えていました。アメリカではどうして、スポーツが人々の生活の中になくてはならないものになっているのか、と。ただ、その答については、日本にいる間は分かりませんでした」
 誰も明確な答は持っていなかった。そう言った方が正しいのかもしれない。

「だけど、アメリカでラグビーをやって、実際に暮らし、プロ球団で働いている日本人スタッフの方などと話して、その理由が分かってきたような気がします。自分がアメリカでプロアスリートとしてプレーし、いろんなスポーツをファンとして楽しみ、感じ、話してみて、腹落ちしたんです」

 スポーツは、その街の人のもの。
 街のチームは、そこに住む人の人生の一部。
 それは、人とスポーツの密接な関係が長く続いた結果だ。それぞれがお互いを必要としている。

 アメリカの各スポーツのリーグは、それが正しいか正しくないかは別にして、「自分たちのリーグが世界一、と思って運営しています」と言う。
「試合や、優勝争いがおもしろくなるために、リーグが制度を設計する。ファンが楽しめるようにするために環境を作る」
 独自のものを作り上げている。

 畠山はそれらのことを知った。しかし、将来に向けて日本のスポーツを変えていくときに、アメリカのやり方をコピーペーストはしない。
「それはアメリカだからそうしているだけであって、日本に合っているわけではないですから」

 ただ、方法論の先にある理想形に日米の大差はないだろう。
 例えば、勝てなくても応援してくれるファンが大勢いるとか、プロ野球の広島東洋カープ、阪神タイガースがすでに創り上げている独自の世界は、国を問わず人とスポーツの理想的な関係と言っていいはずだ。

 2020-2021シーズンのNBA(バスケットボール)でミルウォーキー・バックスが優勝した。
「50年ぶりの優勝でした。半世紀前の優勝を見てファンになった人が、今回の優勝をふたたび味わって涙を流しているかもしれない。ずーっと応援してきたのに、今回の喜びを味わえずに亡くなった方もいるでしょう。スポーツが人生の一部になっていると思いませんか」

 勝ち続けるチームにも、何十年に一回しか優勝しないチームにもファンはいる。
 その両方のファンがチームを応援することをやめないところに、スポーツがその街の人々の生活の中に入り込んでいる理由がある。
 それぞれのクラブ、球団は、勝利を追求しながらも、勝利がすべてとはしていない。

 畠山はラグビーで育った。このスポーツを愛し、感謝しているから、日本ラグビーが新しく踏み出そうとしている『ジャパンラグビー リーグワン』に成功してほしい。みんなに愛されるものになってほしいと願っている。
 そのためにも、新しいリーグの創設を機に、掲げている収益化、地域密着など、これまでのリーグ、各クラブが本気で手をつけてこなかったことと真剣に向き合ってほしい。

「これまでのトップリーグ時代の各クラブの予算、運営費をベースに収益を追求していくのであれば、それをクラブで生み出していくのは相当大変なことでしょう。でも、まずは、それがいかに難しいかを知ることが重要。そこで正しい物差しを作っておくことが大事だと思います」

 アメリカではオリンピック中もMLB(野球)など、各スポーツは通常通り開催された。かつて英プレミアシップのニューカッスル・ファルコンズに在籍したときも、シックスネーションズ開催時期と重なっていようがリーグは止まらなかった。
 止めてしまえば、街や人々の日常も止まる。活気が失われる。スポーツが、市井の人たちにとってなくてはならないものになっているが故のことだ。

 代表チームやビッグイベントを尊重しないのではなく、一人ひとりのファンの方を見ている。それこそファンサービスであり、地域密着だ。
 ニューイングランド・フリージャックスで2シーズンを戦った畠山はいま、次シーズンの過ごし方を考えている。アメリカでの暮らしを続けるのか、プレーの場を他に移すのか。
 リーグワンの準備を進める日本ラグビーの中に戻るのも選択肢のひとつだ。

 いずれにしても、この2年で得たものを使って、これからの人生を豊かにしたい。スポーツの当事者として、まずは自分が暮らす街、身を置くクラブで、たくさんの発信と行動を続けていこうと思っている。