もし自分だったら、どんな決断をしていただろう。
慶應義塾(體育會蹴球部/大学ラグビー部)の学生スタッフは、2年生の終わりに、同期による投票で選ばれる。
選ばれた者は役職に専念、つまり投票は引退宣告になる。
フルタイムコーチが少ない慶應義塾では、学生スタッフが大きな役割を担う。だからこそ、中途半端な選択はできない。時間をかけて話し合い、選ぶ。
主務の井植魁利、学生コーチの齋藤学、松村壇。4年生の彼らは、こうして選ばれた。
栗原徹監督は例える。
「生きていくために必要なもの…水と空気。それが、まさに彼らなんです」
5月に起きた部内クラスターも、この3人が中心となって対応した。
隔離先の手配、保健所との窓口、部内のルール制定。人が欠ける中、練習再開に向けて前線で動く彼らを見て、その存在の大きさを再認識したという。
井植は兵庫・甲南中学でラグビーを始めた。サッカー、テニス、様々なスポーツを経験したが、長続きしない。そんな自分を変えたくて、中1でラグビーに飛び込んだ。
一見クールに見える井植だが、ラグビーに対してはとてつもなく真摯で、熱い。当初36キロだった体を82キロまで大きくしたのも、ラグビーとの向き合い方の表れだろう。
齋藤と松村は9歳の時、それぞれ世田谷ラグビースクール(以下、RS)、兵庫県R Sで楕円球と出会った。
別々の場所でラグビーをしていた2人は、國學院久我山高校で同期となる。
高3の花園、2人は怪我を抱えていた。松村は長く膝を痛めていたが、直前で完治。なんとか登録メンバーに食い込んだ。
一方、齋藤は、メンバーに入ることができなかった。最後、怪我は治っていた。「2年生を連れていった方が、来年につながるから」。監督の言葉を、ただ受け入れるしかなかった。
それぞれ、全く異なる道を歩んできた3人。縁が引き寄せたか、彼らは日吉に辿り着く。
そして、選手としてラグビーを続ける。
2年生の終わり。投票が迫ってくる。齋藤は考えていた。
齋藤には、世田谷R Sで共にラグビーを始めた同期がいる。菅涼介、茗荷康平(ともに4年)の2人だ。スクラムハーフだった齋藤は、世田谷R Sで彼らとハーフ団を組んでいた。
菅と茗荷は慶應普通部に進学。大学で再会を果たした。またハーフ団を組める、そう思っていた。
自分が学生コーチ。思いたくないけれど、自分を推す声は多い。
そんな中、彼の決意を固めたのは、この2人だった。
「彼らが結果的に、投票の時に僕に入れて。その時に涙を流しながら、『大学で一緒にできるって思っていたから、できなくなるのはすごく寂しい。だけど、ずっと頑張っているのを見てきたから』って言われて。自分のために涙を流してくれるって、そうないことだと思うので、不思議な感覚でした」
松村にも葛藤があった。話し合いを進めると、候補者が絞られてくる。その中で、なんとなく覚悟は決まりつつあった。
でも、できればやりたくない。プレーを続けることには、特別な思いがあった。
松村の故郷は兵庫県神戸市。高校で久我山に進学したことで、実家を離れて下宿生活を送っていた。その時から、試合に出ることを家族への恩返しに、ラグビーを続けてきた。だからこそ、ひとつひとつのプレーにはいつも特別な思いが乗っていた。
揺れる松村の背中を押したのは、その家族だった。
「家族は、自分の役割を全うしなさいと言ってくれました。3歳上に姉がいるのですが、姉も蹴球部のトレーナーをやっていて。それも大きかった」
みんなが必要としてくれているなら、その立場でみんなと目標達成ができればいいかな。
そうして決断に至った。
一方、井植は自他共に認める真面目な男だ。話し合いで自分の名前が挙がることは予想していたが、プレーを続けたい思いはもちろんあった。
国内の7人制ラグビー大会「Y.C.&A.C. SEVENS」のメンバーに2年生で選ばれた。その後、京都大学との定期戦で初めて黒黄ジャージに袖を通す。
しかし、それ以降は怪我を繰り返し、痛みに悩まされるようになった。自分はチームにどう貢献するのがベストなのか、そんなことを考える中での投票だった。
投票用紙に書いたのは、自分の名前だった。
「中途半端な決断はできないと思いました。自分自身がマネージャーに向いていると思っているのに、他の人に票を入れることはできませんでした」
代々、投票で選んできた学生スタッフ。途中で選手を引退して裏方に徹する彼らは、選手にとって特別な存在だ。
齋藤と同級生だった茗荷、菅はこう話す。
「その人のラグビー人生を奪ったっていう責任を感じて、コーチングしてもらうときも、『頑張らないとな』って強く思えるのが学生コーチの良さなのかなと思います」(茗荷)
「自分が1年生の時は、4年生の学生コーチの人がいちばん相談に乗ってくれました。自分たちのプレーの課題、監督に相談できないことを聞いてくれた。4年生になった今でも、(学生コーチは)気軽に自分のプレーについて相談できる存在かなと思います」(菅)
重責だからこそ、選手生活にピリオドを打って専念する。茗荷の言葉を借りれば、選手としてのラグビーを奪うことになる。だから、彼らのために勝ちたい。
部員の誰に聞いても「あの3人のために勝ちたい」という言葉が返ってくる。
監督もそうだ。
「カイリ(井植)、ガク(齋藤)、ダン(松村)。一生懸命なところをみんな見ているので、彼らを勝たせたいっていう思いがみんな強いんじゃないですかね」
慶應には、半学半教という理念がある。
「教える者と学ぶ者との師弟の分を定めず、先に学んだ者が後で学ぼうとする者を教える」
—理念:[慶應義塾] – Keio University
この半学半教を体現しているのが、まさに学生スタッフたちなのだ。
例えば、ラグビーを始めてスクラムハーフ一筋だった齋藤は、大学2年生の夏にフランカーに転向。10番だった松村がバックスを見る一方、齋藤はフランカー歴半年でF Wコーチを務める。
「スクラムは組んだことがありません。ラインアウトも半年。F Wの経験が浅いのに、教える。いまも、難しい面がたくさんあります。その中でも、毎日ユニットについて話をして、一緒にビデオ見たり、今後どうするか話したり。今までのコーチがどうだったか分からないですけど、僕はあまりコーチらしくないというか、一緒になってラグビーをしているというか。みんなと成長できたらいいと思ってやっています」
練習中、齋藤はとにかく選手に話しかける回数が多い。必ず誰かと話して、笑っている。
コーチという肩書きはつくが、そこに囚われない。気づいたことがあれば、お互いに共有して次に繋げる。
「特にインディビ(個人練習)はみんなと喋ることができるので、それが楽しくて。ラグビーじゃない話もしながら、僕らにしか話せないようなことも話してくれますし、僕らも気付いたこと話します。それがいいのかな、と思います」
みんなのことが、本当に好きだ。
「このチームが好きで、このチームで勝ちたい。かっこよくいうと、そうです。それだけです」
慶應の初戦は9月18日。日本体育大学と対戦する。
選手の活躍やスコアはもちろんだが、彼らにも目を向けてほしい。
きっと、選手を必死に鼓舞しているはず。想いは、変わらないから。