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【ラグリパWest】新しい風。鬼束竜太 [立命館大新ヘッドコーチ]

2021.09.10

立命館大のヘッドコーチに就任した鬼束竜太さん。着ているシャツは立命館大、履いているパンツは宗像サニックスと、迎え入れ、送り出してくれた両方の組織をたてる



 笑うと目じりが大きく下がる。学生時代と変わらない。

 鬼束(おにつか)竜太は49歳になる。今月15日で人生ほぼ半世紀に来た。

 この8月、大学のラグビーシーンに降り立つ。立命館でヘッドコーチになる。監督の機能を司り、母校の同志社を倒す役割を背負う。

「今までのやり方を変えるつもりはありません。継承してやります。目標は上位と戦えるチームにする、としか今は言えません」
 そのチームの文化を尊重する。そして大風呂敷は広げない。

 経験は豊富だ。2009年から指導畑一筋で12年。宗像サニックスで現役引退直後、コーチに直った。最後はアシスタントコーチ。2011年のみ同志社を見た。

 所属チームの規模縮小報道が流れたのは今年4月、トップリーグの開催中だった。
「上の方から、ここはいったん引いてくれ、と言われました」
 指導を続けたい希望はあった。

 立命館からは複数の人をつないでアプローチがある。その中には藤井雄一郎もいた。宗像サニックスで鬼束は監督として仕えた。今は日本代表のディレクターだ。

 立命館の監督だった中林正一は自身の希望で肩書をチームコーディネーターに変える。出身のFWの強化により注力する。
「マンネリを変えたい気持ちはわかります」
 鬼束は理解を示す。6学年下の中林は監督として10年を過ごした。

 就任が遅くなったのは、企業と大学の間で条件面を調整する時間が必要だったため。サニックスの社員として出向する。

 鬼束はスクラムハーフ出身。現役時代のサイズは168センチ、73キロ。パス、ラン、キックとすべてに優れるオールラウンダーだった。当時、このポジションはパスのみで評価が決まる中、万能選手の先駆けを担う。

「今はみんな教えてくれます。ネットもある。でも当時はそんなことはありません。キックはどう蹴れば、どう転がるかを常に考えていました。今でも、距離はともかく、精度には自信があります」

 東福岡で過ごした高校時代。監督だった谷崎重幸(現・新潟食糧農業大監督)にしごかれた。
「円かきをやりました」
 部員が大きな円を作り、それに沿い一人ひとりにパスを放る。時計回りなら、次は逆だ。
「腰が立たなくなります」
 その投げ込みは最低でも200球近くはいく。

 高3時には70回全国大会(1990年度)に出場。2回戦で島本に9−10と惜敗した。ナンバーエイトの同級生は現監督の藤田雄一郎。歴代4位、6回の優勝を誇る同校は31回の出場記録を持つが、その4回目にあたる。



 東福岡では名スクラムハーフの系譜に連なる。谷崎はFWとBKのつなぎ役として、運動神経のいい選手に背番号9をつけさせる。5つ上には村田亙(現・専大監督)、下の入れ替わりに月田伸一(現・三重パールズヘッドコーチ)。鬼束を含め日本代表経験者。キャップを村田は41、月田は9を持つ。

 高校入学までは草ヶ江ヤングラガーズにいた。3つ上の兄・吾郎の影響で5歳から競技を始めた。兄はスタンドオフとして、熊本にあったニコニコドーなどでプレーした。

 同志社では3年時、「イケイケラグビー」を推し進めた。PGを狙わず、トライを獲りに行く。超攻撃的にするため、腰痛持ちだったプロップの中道紀和をフランカーに下げた。
「おもしろかったです」
 30回目の大学選手権は4強敗退。優勝する明治に17−27。ただ、10点差は大会を振り返れば、もっとも競った試合になる。

 この年、日本代表にも選ばれる。10月のウェールズ遠征に参加した。
「堀越さんと村田さんがケガで辞退しました」
 堀越正巳(現・立正大監督)、村田の穴を永友洋司(現キヤノンGM)と埋める。
「ケガでないと交代できない時代でした」
 5−55のテストマッチはリザーブ。そのため、キャップはない。

 卒業後はワールドに入った。最高位は52回目の全国社会人大会(=トップリーグの前身、1999年度)での準優勝。神戸製鋼に26−35だった。宗像サニックスには2004年に移籍。選手としての晩年を地元で過ごす。

 立命館へは単身で来た。ひとり娘の杏菜は今年4月、名門の福岡高校に合格。ラグビー部のマネージャーになった。全国大会の出場回数37は東福岡を6上回り県内トップ。その勉学水準の高さと歴史の長さで、修猷館、筑紫丘とともに「御三家」と称される。

 家族とは距離的に遠くなったが、立命館と活動拠点の滋賀・草津とは縁がある。副部長の広野秀之はワールドの先輩でもある。
「かなり動いて下さったと聞いています」
 この地では19年前、アキレス腱を切って、手術をした。担当医の橘真一は現チームドクター。戦略担当のコーチは大西将太郎だ。
「見ている部分が違うので、ありがたい」
 同志社、ワールドの後輩の存在は心強い。

 立命館の関西リーグ開幕戦は9月19日。関西学院と激突する。指導を始めた8月は数人だがコロナ罹患者が出て、10日ほど練習ができなかった。長野・志賀高原での夏合宿も実質2日で打ち切った。

 そのよくない流れでも、焦りはない。
「好きなラグビーに携われている。それは幸せなことです。売り上げに追われたり、上司や部下がどうこう、ということはありません」

 立命館は3年前の2位から、6位、5位とBクラスが続く。その指導力で、黄紺ジャージーを一転上昇に変えていきたい。