0-50。まずはそれで十分だった。
「大差で負けたけど、ここに来られたことが喜びですよね」
流経大ラグビー部の内山達二ゼネラルマネージャー兼監督は、安堵の顔つきだった。8月19日、夏合宿先にあるサニアパーク菅平で天理大と練習試合をしたところだった。
昨季、初の大学日本一に輝いた天理大には、先の大学選手権の準々決勝で17-78と大敗していた。今回も得点を奪えず圧倒されたが、内山は「まず(ここから)スタートできる」と前向きだ。
何せ今年度に入ってから、相手が関西大学春季トーナメントなどで経験を積んできたのに対し、自軍は7月まで活動を止めていた。茨城県龍ケ崎市内の寮で、新型コロナウイルスのクラスターを起こしたからだ。
無症状ながらも陽性者となった部員の1人は、こう述懐する。
「(感染拡大が報じられる東京から遠い)茨城なので、どこか他人事のようでしたが…。改めてコロナの怖さがわかりました」
嫌な予感は当たった。内山監督が「これ、まずいんじゃないか」と察したのは6月上旬頃か。数名の選手に発熱があったのを受け、PCR検査をした。陽性反応が出た。
折しも、チーム作りのペースを上げていた。1対1、ユニット単位でのミーティングを重ねたところだった。
「ソーシャルディスタンスを取って、(種類によっては)グラウンドでおこなったりしていたのですが、それでも感染…ショックでしたね」
感染のあったスポーツチームの活動再開で鍵を握るのは、濃厚接触者の判定と言われている。
国立感染症研究所がまとめた「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領(2021年1月8日暫定版)」では、濃厚接触者の定義が箇条書きで記されている。
それらを要約すると、そのうち病原体を持つ者や患者と同居していたり、必要な感染予防策なしで至近距離での接触を15分以上、続けていたりした人は濃厚接触者と見なされるのではと読める。
濃厚接触者は2週間の行動制限が課せられ、体調がよくても自室から出られない。濃厚接触者の判定は、各地の保健所に委ねられる。
そして今回の流経大のケースでは、陽性者以外の全部員が濃厚接触者と見なされた。流経大の部員数は100名を優に超える。
「当面、濃厚接触者はバブルを作ってください」
保健所にこう指示されたチームは、濃厚接触者となった部員をもともと住んでいた寮に待機させる。ここで生まれたのは、苦しみのループだった。
濃厚接触者のなかから追加の陽性者が確認されると、それ以外の部員は新規の陽性者に対しての濃厚接触者と認定される。それまで消化された外出制限はリセットされ、追加の陽性者が確認された時点から改めて2週間の隔離が求められる。いわば振り出しに戻る。
「全員が陽性者になるのを待たなきゃいけないのか」
事態を受け、内山監督は残された濃厚接触者の完全隔離へ動き出す。地元の不動産屋へアパートを紹介してもらい、それぞれに1人ひと部屋ずつをあてがう。地域住民の視線やインターネットでの誹謗中傷とも向き合う日々を経て、再び活動し始めたのは8月1日だった。
夏の天理大との80分(別途、控え組同士でも激突)は、活動再開から約3週間後におこなった初の実戦だった。内山監督が「この短い期間でこれだけ(の試合が)できた」と安堵するのは、自然な流れだった。
「課題はいっぱいありました。(攻防の起点となる)セットピース、ブレイクダウンで相手にプレッシャーをかけられていて、クイックリサイクルができなかった。ゲームをしていない焦りで、ボールキープできない状況を作った。それで、エリアも取れない。ただ、その状態なのに、ランで(球を前に)持っていける(選手もいる)。キープ・ザ・ボールをすれば自分たちの展開へ持っていける手応えは感じました」
さかのぼって昨春。「ステイホーム」と謳われていた社会にあって、流経大は他部が踏み切った寮の一時解散をおこなわなかった。緑豊かな龍ケ崎市内でなかば籠城。フラストレーションのたまる部員へは、当時の坂本侑翼主将(現 三菱重工相模原ダイナボアーズ)が「目標は日本一だから(がまんしよう)」と語りかけていた。
あれから年度は替わり、情勢は、そのままだった。新体制のチームは、今度のパンデミックを経て生活環境を見直す。
保健所や大学側からの指導のもと、寮内でのマスク着用を徹底。生活必需品などの買い物は複数名ではなく1人でするよう再確認し、一度に風呂や食事ができる人数も選手によると「だいたい、6名ずつ」に定めた。1、2軍の居住エリアも分割した。同じ失敗は繰り返せない。
加盟する関東大学リーグ戦1部のファーストゲームは、9月12日に組まれた。普段練習する龍ケ崎市の流経大グラウンドに、前年度7位の関東学院大が現れる。昨季2位の流経大は、指揮官いわく「成長レベルを上げないと」。7シーズンぶり4度目の優勝へ、残された日々を有益に活用したい。