二人にとって、楽しさも悔しさも濃縮された3日間だった。
今回の東京五輪2020で男子セブンズ日本代表として戦った松井千士と藤田慶和。ともに5年前のリオ五輪ではチームとして現地に入りながら、最終メンバーから外れた。
選手村に入ることもできず、大会期間中は電車とバスを乗り継いでスタジアムへ。一般の観客と一緒にスタンドから戦いを見守った。この5年間は悔しさを晴らし、夢をかなえるための時間だった。
チームの主将も務めた松井は大会終了後、今年に入って続けていた禁酒を解禁した。口にしたのはキヤノンに移籍するとき、サントリーの同期から贈られたウイスキー「響」。禁酒する最後に口にしたのも、そうだった。
チームの主将を任された2年間。目指していたメダルを手にすることはできず。振り返ると、19−24と惜敗した初戦フィジー戦に悔いが残った。
「いい試合ができた。雰囲気が悪くなったわけではないけれど、チームが“のる”きっかけをつかめなくて、僕自身、そのままの雰囲気で次の試合(英国戦)に入ってしまった」
すべてのチームを詳細に分析して臨んでいたが、いざ戦ってみると違っていた。
「予想よりディフェンスが強くて、しっかりプレッシャーをかけてきた。そこで受け身に回ってしまった」
結果は0−34。前半、ほとんどボールを持つ機会もなかった。想定外の事態が、その後の試合にも影を落とした。準々決勝進出はかなわなかったものの、主将として気迫あふれるプレーを見せ4トライをスコア。テレビには鬼気迫る表情が映し出された。
「僕自身、テレビを見て“こんな顔してるんや”と驚きました」
久々にキヤノンのクラブハウスに顔を出すと、仲間からも「顔が違う」と言われた。
「キャプテンとしてチームを引っ張りたいとああいう表情になったのかなと。入れないメンバーの気持ちもわかるので」
社会人1年目の2017年、左足の指を4本骨折する大けがを負い、今でも足の形は変形したままだ。
その足を支えたのが、世界に3か所しかない「アディダス アスリートサービス」で作られたスパイクだ。3Dで身体や足を計測、それぞれのアスリートにあったオンリーワンの靴が生み出される。
「ケガしてからスパイクの調整が難しくなったんですが、個人に合わせて作ってくれるので、しっかりフィットする。このスパイクだから4トライとれました」
大会期間中は、世界的なイベントゆえの楽しさも味わった。「初めて選手村に入りましたが、すごい選手がたくさんいた。これまではラグビーのコミュニティだけでしたが、今回はいろんなアスリートの顔が観られた。5年間目指してきて、よかった」。
しばらく休息をとった後は、もう一つの目標である2年後の15人制ワールドカップに向けて始動する。
「大会まで時間は短いですが、なんとかアピールしたい」
藤田慶和も大会後、久しぶりに何の予定もない日々を楽しんでいる。
「こんなにトレーニングしない期間は初めて。これまでずっと(合宿が)終わったら次、終わったら次の繰り返しで、オフがなかった」
必ず東京五輪のメンバーに入ると誓ったのは5年前。だがこの1年はケガに悩まされ、復帰しては負傷の繰り返し。試合に出られず、不安との戦いだった。
「メンバーに選ばれるまで死に物狂いでやりました。絶対に前回と同じ思いは味わいたくないと」
最後にメンバー入りし、不可能を乗り越えた。
藤田も、今回の戦いの分岐点となったのは初戦フィジー戦だったという。
「フィジーに勝ち切れていれば波に乗れた。(フィジー戦のラストプレーで選択した)ラインアウトもずっと練習してきて自信を持っていたプレー。攻め続けたら必ず逆転できた。それが悔しい。次の英国戦に関しても、いい準備をして入ったつもりでしたが、自分たちの形にかみ合わなかった。」
5年前、グラウンドに立てなかった悔しさとは違う悔しさを味わった。だが、日本人の可能性も感じた。
「継続してアタックできれば、トライはとれる。ボールを持たないときの攻防や、キックオフの精度をもう少し高めないといけない」
大会で履いていたのは、7月の北海道での合宿から使っているスパイクだ。
「ケガもあったので、あまりスパイクを変えたくなかった。自分の足に合わせてもらっているので、初めて履いたときから足に合いました」
試合前は歯ブラシで磨き、綺麗な状態で臨むのがルーティーンだ。
今後は、来年1月に始まる新しい戦い「リーグワン」に向け、15人制用の身体に変えていくが、3年後のパリ大会に向けての気持ちもまだある。
「最後の韓国戦が終わって、すぐに思いました。“この悔しさで終わりたくない”と」
5年前、スタンドから仲間の戦いを見守った二人。今回、メンバーに入って感じた悔しさが、また新たな夢のスタートとなる。