ラグビーリパブリック

【コラム】本当に開かれているのか。

2021.07.29

東京スタジアムで開催されている五輪種目・7人制ラグビー。7月27日の男子準々決勝・英国vsアメリカより(Photo:Getty Images)

 本当に開かれているのか。

 調布市内の東京スタジアムまで接近しても、その実感は得づらい。スタジアムの周りの大型歩道橋の上、下には夏服の警官が散見され、その区域のファミリーレストランでは大会ボランティアらしきポロシャツ姿の2人組がドリンクバーを頼んでいた。
 
 オリンピック東京大会の男子7人制ラグビーはこの7月26日、開幕していた。初日の朝に前回金メダルのフィジー代表へ19―24と肉薄した日本代表は、その日の夕方、同銀メダルのイギリス代表に0―34で敗れた。

 まもなく11位に終わって以前の4位から成績を大きく落とした理由は、「大会中に何があったか」「大会延期決定前に何があったか」「大会延期決定後から直前期に何があったか」とテーマに分け、子細に総括されたい。

 いずれにせよ、イギリス戦の時点で筆者が確認できたのは、BGMがかすかに鳴るスタジアムをバックに若い男女が記念撮影をしていたことくらいだ。

 パスを持たぬ記者がわざわざ競技場へ向かう行為は、開幕日の国立競技場にあふれた一般客と同列に扱われやしないか。そんな懸念は取りこし苦労に終わった。

 帰路の途中のコンビニエンスストアの入口で、毎日新聞朝刊の一面がのぞく。見出しにはカギカッコつきでこうある。

<我慢しても変わらない>

 レジのトレイ上での小銭の交換ののちに紙面を読むと、競技場とは別世界と言える渋谷区の息づかいが描かれていた。24日の渋谷は道玄坂で、<当店は選手村なので堂々とお酒を提供します>と掲げた居酒屋があった。店員は<張り紙だけを見て帰る客があまりに多くて外しました>と笑った。

 記事の末尾は、25日午後の風景で締められる。その折、スケートボードの男子ストリートで堀米雄斗が初代王座に輝いていた。

<…宮下公園では若い男女がターンを繰り返していた。厳しい日差しが照り付ける中、転んでも顔をゆがめながら何度も立ち上がる。この若者たちの胸には東京五輪のレガシー(遺産)が残ると感じた>

 スケートボードと言えば、26日の女子ストリートを含む両日程で解説した瀬尻稜さんが話題を集める。

 世界中のスケーターの妙技を素晴らしいという意味で「ヤバい!」と、想定外であるとのニュアンスを込めて「ない、ない、ない」と叫んだ。板が障害物の上を綺麗に滑走するさまは「ビッタビタにはまってましたねぇ」と表現した。

 語り手自身がプロスケーターとあり、現場で放たれるスキルの背景を愛情たっぷりにひも解くのも好感を与えた。倉田大誠アナウンサーの事前学習の量がにじむ誘い水は、放たれたヴィヴィッドな表現をよりわかりやすい形に変えた。

 この潮流から学べそうなことは、「若者言葉(という表現がすでに若者らしくない)」そのものではない。分野を問わず、その領域の玄人が敬遠しがちな「一般向け」と見られるプレゼンテーションの仕方を馬鹿にしてはならない、という真理だ。

 伝える対象の本質(むしろ重要なのはこちら。これがなければただのペテン)を捉え、例えば「短い感嘆文→補足情報」といった風に、聞く気のない相手の耳にも入るよう示す。この手順を踏むべきは、現在の施政者だけではないはずだ。ラグビー界で「にわか」を自称するファンへ理解を促す際も、この法則は効くかもしれない。