濃緑は荘厳さを感じさせる。布クロスの表紙は銀字で、『大地と青空』と記されている。
青井陽祐の追悼文集である。
愛知の春日丘(はるひがおか)の1年生は18年前、練習試合でタックルに行った。その時、頭を地面に激しくぶつける。
緊急手術の功なく、翌日、空に還る。2003年6月23日。まだ15歳だった。
この文集はほぼ1年後、自費出版される。
表紙の揮毫は、当時から監督を続ける宮地真(みやち・まこと)だった。
「私なりに陽祐のことを考えて、この題名になりました。青の字を入れたかった」
文集は菊版(150×220ミリ)より少し大きい。その214ページには部員、友人、恩師、父兄ら155人の文章が本人の写真などとともに載っている。陽祐は鼻が通り、目元は涼しげ。ハンサムだった。
文集からは、若い、なまの感情が、世俗の脂にまみれず、文字を通してそのまま伝わる。三浦奈美にとって陽祐は年下の男の子。その保育園時代から知る。中学時代は陸上部だった陽祐は、ラグビーへの熱望を語っている。
どうしてもやりたい。
あばら骨を折ってもやりたい。
<目が輝いているのを見て、私は嬉しかったです>
推薦を得たため、競技を始めたのは入学前の2月。脚の速さを買われWTBになった。そして、4か月ほどで事故が起こる。
<私の前から陽祐がいなくなるなんて、夢にも思わなかった。考えるだけで胸が張り裂けそうです。陽祐ほど明るくて優しい子はいないと思う。悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした。神様ってなんてひどいんだろうと思いました。私より先にいくなんて許せなかった。大きくなった陽祐を見たかった。何もかもが夢にしか思えなかったのです。初めて大切なものを失いました>
突然の別れは受け入れがたいものだった。ただ、半年が過ぎ、その心境にわずかながら変化が起こる。
<でも今は、もしかしたら陽祐は、沢山の人に笑顔と、勇気と、強さを与えてくれる天使だったのかなぁ、と思うようになりました。ずっと忙しくて会えなかったけれど、今では空で、見ていてくれると信じています>
対戦相手の名古屋高校の監督は後藤直哉だった。同校の信仰はキリスト教。聖書から『ヨハネによる福音書』の一文を引く。
<一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ>
三浦の想いと重なる。
後藤の文章は続く。
<尊い犠牲は周りの人々に多くのことを教え、悲しみを乗り越える強さを与えてくれます。私たちは彼の命から多くを学びました。のこされた私たちは、何としても一生懸命に生きなければなりません。どんな時も挫けない、あきらめない、弱音を吐かない強さを持たなければなりません。正直でなければなりません。勇敢でなければなりません。そうあることが、私たちの心の中に落ちた彼の命の種に、多くの実を結ばせることになるのです>
宮地は当時を振り返る。
「その時、私にはやるか、やめるしかありませんでした」
宮地は学生日本一3回の大東文化大学の卒業だが、ラグビーはこの学校に赴任してから始めた。初心者だった。1992年のことである。そして、12年目に陽祐が亡くなった。
父・隆行と母・優子は部の存続を願う。宮地の思いが文になって残る。
<葬儀の終わった次の日、青井さんが、名古屋高校の方が一番不安に思っていらっしゃるでしょうから、私が出向いて、今回のことでラグビーを嫌いにならないように話をさせてもらいたい、と言われたとき涙が溢れて止まらなかった>
現在、ラグビー部のOB会長をつとめる高屋英史は言う。
「あの時から、本当の意味でのハルヒの歴史が始まったのです」
残された者は覚悟を決める。ラグビーにかける。2年後、東海大会、その2年後、選抜大会に初出場。さらに3年をかけ、花園の芝を踏む。90回記念大会(2010年度)だった。
昨年度の100回大会では10回目の出場にして、初めて8強入りする。準優勝の京都成章に3−14で敗れた。選手としては姫野和樹を生む。6月26日のライオンズ戦で、日本代表唯一のトライを挙げた。トヨタ自動車に籍を置き、ハイランダーズで戦った26歳は、世界に冠たるバックローに成長する。
これまでの時の流れを石碑と2本の山法師の木は知る。グラウンドから少し離れた校内に文集出版と同じ2004年に置き、植えられた。花言葉は「友情」。陽祐が逝った時期に花を咲かせ、秋に実を結ぶ。今年も祥月命日には部員たちで草引きがなされた。
日々の練習は今でも黙とうから始まる。
「文化をつなぐ、という意味において、なくしてはいけないことだと思います。ハルヒにとってのルーティーンです」
主将の小池陽翔(はると)は話す。誕生年は2004。当時、陽祐はすでに世にいない。
小池は陽祐と同じWTB。先頭に立つ2021年のチームは、6月の県総体決勝で55−3と大勝する。相手はくしくも名古屋だった。続く、東海地区総体では42−3で東海大静岡翔洋、74−3で朝明(あさけ)を連破。8連覇を達成。圧倒的な東海王者として君臨する。
その上で小池は先を見据える。
「あくまでも目標は日本一です。そこに少しでも近づいていきたいです」
亡き人の魂とともに、その実りを告げる麦秋はそう遠くない先に迫っている。