母・優子さんは落ち着かない様子だった。息子が日本代表戦の大舞台に立つのだから、当然といえば当然だった。
「昨日の夜はあまり眠れませんでした」
6月12日に静岡・エコパスタジアムで開催された日本代表(JAPAN XV)×サンウルブズ。
コロナ禍により収容人員を上限50%に制限して行われ、1万8434人が集った大舞台に、帝京大卒の28歳、荒井康植はサンウルブズの先発SHを託された。
SH荒井の母・優子さんは、末女の珠里さんを連れて、4兄弟の3男の応援に駆けつけた。2人が履いていた白い靴は、SH荒井からの誕生日プレゼントだという。珠里さんは、兄の印象を訊ねられると「めちゃくちゃ優しいです」と笑顔で答えた。
学生時代にラグビー部のマネージャーだった母・優子さんは「子供達にはラグビーを」と思っており、息子達を地元・北九州の鞘ヶ谷ラグビースクールに通わせた。
次男・基植(中国電力)は福岡・小倉高に進み、帝京大のCTBとしてV4メンバーに。そして三男・康植(キヤノン)は、佐賀工から同じく帝京大に進み、同期で主将だった坂手淳史らと共にV7メンバーとなった。
◆サンウルブズのSHとして日本代表と対戦。パスアウトする荒井康植
U17、U19日本代表歴のあるSH荒井だったが、いよいよ日本代表への道筋が見えたのは2018年だった。サンウルブズのプレシーズン合宿に参加し、日本代表になる可能性のある高いポテンシャルを持つ人材としてNDS(ナショナル・デベロップメント・スコッド)のニュージーランド遠征に参加した。
ところが初出場、初先発を任された遠征2試合目、ブルーズA戦の後半6分に肩を負傷してしまう。交代で入った齋藤直人が劇的な勝ち越しトライを決め、鮮烈な印象を残した一方で、荒井はその後両肩の手術などを経験した。
日本代表への道筋を失いかけたが、自分自身と向き合い、努力を重ねた。
「(NDSのニュージーランド遠征で)ケガをしてしまいましたが、ケガの期間は自分自身に矢印を向けました。ここで腐ると目標している日本代表から遠ざかるので、自分自身と勝負、自分に負けないことを意識していました」(SH荒井)
トップリーグの2020年度は飛躍のシーズンになった。沢木敬介新監督、新キャプテンの田村優、2019年W杯日本代表のSH田中史朗らの指導を受けながら成長を続け、キヤノンの8強入りに貢献した。
「怪我が明けて、キヤノンで多く試合に出させてもらいました。沢木監督、田中史朗さん、田村優さんにアドバイスを頂きながら学ばせてもらい、明確になった課題を日々克服するように意識しながらやっていったことで、今があるのではと思っています」(SH荒井)
SH荒井は5月24日発表の2021年度日本代表に初選出され、6月8日の静岡移動時にサンウルブズに合流した。多くの日本代表メンバーにゲームタイムを与えるためだった。
「大分合宿が終わって静岡に移動するときにメンバーが発表されて、サンウルブズに行きましたが、僕としてはここでしっかりアピールしようと思いました。サンウルブズはコネクションを大事にするためにカーキー(FLエドワード・カーク)だったり、布巻さん(峻介)だったりが率先してコミュニケーションを取ってくれて、合流したらすごく居心地がよく、良い状態でした」(SH荒井)
居心地のよいサンウルブズで先発した日本代表戦で、荒井は前半19分、SO山沢拓也の足技から生まれた混戦状態からグラウンディングに成功。
両チーム最初のトライを奪い、大舞台のスポットライトを一身に浴びた。
サンウルブズは17−32で敗れたが、SH荒井はトライだけでなく戦術的なキック、安定感のあるパスで好アピールした。
試合後、苦楽を支えてきた母・優子さんは、大舞台を見届けて「感無量です」と感激の様子だった。
6月13日、日本協会が発表した遠征メンバー36人の中に、荒井康植の名前はあった。一度は見失いかけた日本代表を、自分の戦いに打ち克ち、掴み取った。
本当の勝負はこれからだ。ノンキャップの荒井を待つのは、6月26日のブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ戦、7月3日のアイルランド代表戦だ。