確かに、山村亮がいた。
6月12日に静岡・エコパスタジアムであった日本代表の強化試合に向け、「JAPAN XV」名義の代表主力格に挑むサンウルブズは9日、10日、同県内で練習をメディア公開した。
サンウルブズ専任としてリストアップされた次世代の星や日本代表の合宿から合流してきたメンバーに加え、静岡をホームとするヤマハの若手、中堅の選手も加わっていた。ヤマハ勢の大半は15対15のセッションを成立させるための練習生扱いだったが、その隊列に今季限りで退団する39歳の山村がいたのである。
「招集というより、参加させてもらったという感じですかね」
本人がこう語ったのは試合の6日後。オンライン取材に応じ、短時間で結束した狼軍団に触れる。野太い声で簡潔に話す。
「今後、僕も指導者の道に進みたい。(今回のサンウルブズでは)同じヤマハの大久保直弥さんがヘッドコーチで、田村(義和=前ヤマハスクラムコーチ)さんがスクラムコーチをされている。勉強のために参加させて欲しいと言いました。現役を終えてすぐで身体も動けていたので、15対15の練習に参加しながら、お手伝いするという感じです」
スクラム最前列の右PRに入る。身長186センチ、体重115キロの堂々たる体格と、大きな雄たけびが印象的だった。日本代表として2003年と2007年のワールドカップなどで計39キャップ(代表戦出場数)を得た。
佐賀工、関東学院大を経て2004年に入部したヤマハでは、リーマンショックに伴う活動規模縮小を経験しながら14年度には日本選手権を制した。現日本代表スクラムコーチの長谷川慎に師事し、スクラムを売りにするヤマハの文化を築き上げた。今度のサンウルブズでスクラムコーチを務めた田村義和とは、ヤマハで長らく先発の座を争った仲だ。
一時的に社員選手として活動も、2016年途中からは競技に専念するプロ選手として活動。国内トップリーグの21年シーズンを終えてからは「ゆっくり」していたが、サンウルブズが始動するよりも約「2~3週間前」に今度の話を知った。半ば志願する形で、6月6日夜からの活動へ携わる。
「代表選抜のような合宿に参加するのは久々だったのですが、皆の理解度、能力が高い。刺激的でした」
最近のトッププレーヤーの資質にこう驚いた通称「亮さん」は、首脳陣やリーダー陣の姿にも感銘を受ける。
サンウルブズは日本唯一のプロクラブだ。2016年から約5年間、国際リーグのスーパーラグビーへ参戦していた。2019年のワールドカップ日本大会までは、日本代表と戦術や主力選手を共有。長距離移動を伴う遠征や高強度のゲームの連続が、ジャパンのワールドカップ8強入りを支えた。
特別編成された今回のサンウルブズでは、ヤマハでも師事する大久保直弥ヘッドコーチ、初年度から4季参戦のエドワード・カークが陣頭指揮。準備期間は1週間足らずで、先発候補の大半が途中合流という急造チームへ芯を通していた。
その様子を山村は「(短時間でチームを)作っていくことがサンウルブズのカルチャーだと、大久保さん、カーク選手が話してくれた」と振り返り、とりわけカークのキャプテンシーについてこう述べる。
「カーク選手は事あるごとに『楽しくやるのがサンウルブズだ』と。厳しくやるんですけど、いつでもエンジョイする雰囲気(を作っていた)。いい主将ですし、人としても素晴らしかったです。今回、初めて一緒のチームになって、ファンからもチームメイトと愛されるのはこんな選手なんだなと実感できました。いつでも明るく、フレンドリーですよね。そして、試合では身体を張る」
選手と同じスケジュールで動きながら、コーチ陣のミーティングにはできる限り出席した。日々の練習時間の微修正、試合での選手交代のシミュレーションについての話し合いを傍聴できた。
身体を動かしながら学んだのは、沢木敬介コーチングコーディネーターの手法である。
沢木はサントリーの監督として2016年からトップリーグ2連覇の名コーチ。直近のシーズンでは2018年度12位のキヤノンを率いて、同年度まで5季連続4強入りのヤマハを下している。
山村はかねて、沢木がどんな指導をしているのかに興味があった。今回、その一端に触れられたのはよかった。
「練習で鳴らす笛、テンポ…。(自身が経験できたのは)さわりの部分だけかもしれないですし、いつもそうしているのかはわからないですが、(一端を)垣間見ることができました。ぐっと詰め込んだなかでの、しんどさと言いますか…。(練習中に)水を入れる時間も少ない感じで(時間は)ぎゅっとコンパクト。集中してできる長さで、ダラダラはやらなかったですね」
グラウンド外では矢富勇毅が奮闘する。ヤマハの現役選手ながらアシスタントコーチを任され、宿舎では夜に「ウルフパックナイト」という交流の場を主導。自身も在籍経験のあるサンウルブズに関して自作のクイズを出し、大久保やカークが大事にしていた「チームのアイデンティティ」を全員に植え付けるのを助けた。先輩の山村もうなずく。
「コーチ陣の工夫(があった)と言いますか…。矢富もチームの一体感を作ろうというシチュエーションを作ってくれた。それも短期間でチームをひとつにする要因になりました」
このゲームで自身がプレーした可能性について聞かれれば、「あの場は日本代表のセレクションなので」と首を横に振る。果たして登録された24名の狼は、用意した動きと持てるスキルでスタンドを沸かせた。
当日は17-32と敗れたが、前半を14-3で折り返した。笑顔で解散した。
しばしの時を経て、山村は「いま、考えています」という今後の道を見据えるのだった。
「これまでずーっとラグビーに関わってきたので、これからもラグビーに関わっていきたい。人としても成長して、日本ラグビーに貢献していきたいと思っています」