名前の由来は宇宙の始まり。そう理解する。
大規模な空間構造に関与していそうな、「ゆらぎ」という現象にあやかっているのだ。
東海大ラグビー部の2年生の武藤ゆらぎは、身長170センチ、体重77キロで精悍(せいかん)な顔立ち。司令塔のSOに入り、果敢に仕掛ける。
「個人としても去年を超えるような活躍をする。司令塔としてチームを勝たせられるようになりたいです」
いまの競技を選んだのは、ハンドボールの選手だった体育教師の父に勧められたからだ。
7歳から横浜ラグビースクールに通い、進路選択の折には神奈川県内屈指の強豪校、東海大相模高行きを検討する。ところが東海大の学園ラグビーコーディネーターだった土井崇司・現 東海大相模中・高校長に、自身がかつて指導した大阪・東海大仰星高を勧められる。
誘われるがまま、中学3年の夏に通称「ギョウセイ」の練習へ参加した。その日はちょうどけがで見学に回る先輩がいて、おこなっているトレーニングが試合とどう紐づいているのかを耳打ちしてくれた。競技を「科学」する文化に感銘を受け、3年間の寮生活に踏み切った。
1年時に5度目の全国優勝を果たす強豪で、高校3年の夏にレギュラーを獲った。
「ひとつのキックを蹴ったことへも『なぜ?』と聞かれる。ラグビーの原理原則に基づいたプレー選択をするよう言われてきました。ひとつひとつのプレーに意図を持ってプレーすることが、考えるラグビー。少しは成長できて、考えるラグビーができるようになったかなと」
東海大を選んだのは、与えられた選択肢のなかでもっとも将来の目標に近づけそうな場所だったからだ。目指すは日本代表である。
部員数100人超、全国大学選手権準優勝3回という現所属先にあって、「ライバルも多いなか、しっかり練習に取り組めて、グラウンドもよく、素晴らしい環境のなかでラグビーができています」。ルーキーイヤーの昨季は、社会情勢の変化とそれへの学校側の対応により自宅待機が長引いた。しかし、本格始動した夏以降に首尾よくアピール。1軍に入った。
「まずはけがしないことを意識しました。あとは一回一回の練習を全力で取り組んで。それと4年生の先輩たちが僕に声をかけてくださることで、チームにフィットできるようになりました。『1年生だからといって引くのではなく、積極的に声を出していけ』とか。プレー面でも引っ張ってもらっていました。自分のやりたいようにやって、周りがそれをサポートしてくれていた感じです」
秋の関東大学リーグ戦1部では6戦中3度、冬の大学選手権でも参加できた準々決勝1試合で先発の背番号10をつけた。同じポジションには、2学年上で年代別代表としても活躍した丸山凛太朗がいた。武藤がスターターになった時、丸山は控えだった。後輩は述べる。
「まさか自分が10番を着てリーグ戦に出場するとは思っていなかったです。自分にできること、やるべきことをしたことによって、結果(リーグ戦優勝)もついてきたという感じです。凛太朗さんは入学した時からずっと面倒を見てくれて、ウェイト、個人練習、ポジション練習でもずっと一緒。尊敬する先輩でもあり、ライバルとして意識する先輩でもあります。(先発時は)試合に入る前にプレッシャーを感じていたんですけど、リザーブに凛太朗さんが入っていると思うとミスも恐れず、常にチャレンジできるようになれました」
6月6日、東京・明大八幡山グラウンド。関東大学春季大会Aグループの2戦目で、前年度全国4強の明大とぶつかる。前半は19-7とリードも、最後は26-28と逆転負け。司令塔だった武藤は、自らの技術的なエラーを悔やんだうえでこう話す。
「試合前にイメージしていた形とは違って得点も取れていたんですけど、後半、体力(疲れ)と自分たちのミスでやられました。ゲーム内容的に自分たちがいい方向に進んでいるなかで、明大さんはあきらめずに最後までアタックし続けた。それに比べてこっちは、ディフェンスでがまんできずに攻め込まれて…」
試合運びや終盤の戦いぶりに反省点を残すが、収穫も見出している。この春は丸山がインサイドCTBに入っていて、その形は機能した。1勝1敗で終えた春季大会でも多彩なプレー選択を披露し、周囲を楽しませる。
「ダブルSOのような形。僕が前のスペースを見ている時に(丸山が)外のスペースを見る。常にずっと声をかけてもらっているのでやりやすさ、安心感があります。凛太朗さんは僕に見えていないスペースを見ていて、戦術的にも違う考えを持っている。それでオプションが増えたというか、多彩な攻撃ができるようになっています」
列島がいまよりさらにラグビーを楽しみやすい場所になれば、大勢のファンにエキサイティングな試合を披露できる。