この1年、国と国との距離がより遠くなっている。だからだろうか。南から届いた言葉がことさら頼もしく響いた。「失敗はたくさんあるけど、充実している証拠。ここでもがきたいと思う」。単身、ニュージーランドで奮闘する姫野和樹が4月の試合後に明かした決意である。
◆2015日本代表のリーチ マイケル主将と指揮官エディージョーンズ
相手のタックルをはねのけて突進、倒れても立ち上がって前進する。得意としてきたボールキャリーが、ハイランダーズの最初の数試合はなかなか見られなかった。前への勢いがいつもより乏しい。2人がかりのタックルで押し戻される。
試合から遠ざかっていたせいか。体調が万全ではないのか。そうした不安をかき消すプレーを見せたのが、スーパーラグビー・アオテアロアの最終戦だった。ハリケーンズを相手に防御ラインを破ってトライにつなげるゲイン。倒れて起きての「ダブルアクション」も見せた。
序盤戦と様変わりした理由を本人が明かした。「キャリーの時に横に流れ過ぎていた。だから、相手としっかり正対し、強い体の状態で当たることを意識した」。対面の外側で当たるというチームの決めごとに忠実なあまり、持ち味が消えていたようだ。姫野は続けた。「ボールキャリーでここまで前に出られないことは今までになかった。『なんで出られへんのやろう』と自分で考えて、答えに至った」。
2019年のワールドカップ(W杯)で名を上げたが、さらなる成長を求め、コロナ禍の難しい時期にあえて海を渡った。「もがく」ことでたどり着いた正解。満願成就といったところだろう。
姫野の苦悩と克服の過程を見て思い出したのが、サッカー元日本代表監督の岡田武史さんの言葉である。2010年のワールドカップ(W杯)で16強入りを果たした原動力をこう語っていた。「日本人は追い込まれて追い込まれた時、すごいエネルギーが出る。私はそれをブラックパワーと呼んでいる」。反骨心や、火事場の馬鹿力と似た存在だろう。
当時のサッカー代表はW杯イヤーに入り、絶不調に陥っていた。岡田さんや選手にはナイフのような批判が浴びせられた。その結果、「ブラックパワー」が発動したのだという。
「メチャクチャにたたかれた結果、選手たちが『この野郎』『俺らでがんばろうぜ』って主体的に動き出した」。選手は自らミーティングを開始。議題は団結の必要性だけではなく、戦術にまで及んだ。
「私もそのブラックパワーをちょっと利用したところがある」とも岡田さんは話す。噴出し始めたマグマを生かすべく、チームをほぼ一から作り直すことを選択。先発の顔ぶれを変え、主将も若手の長谷部誠に交代した。戦術もそれまでの正反対、極端な守備重視に舵を切った。
W杯の初戦を半月後に控えたタイミングでである。切羽詰まった時期に、それまでの自分たちを全否定するような決断は並のコーチにはできない。しかし、少しでも勝利の確率を高めるための非情の采配はさらにチームの危機感を高め、本番では下馬評を覆す1次リーグ突破を達成した。
2つのフットボールの日本代表を見ていると、チームに危機感がある時ほどいい戦いをする傾向があるような。ラグビーでは平尾誠二監督のもと、大きな期待を背負って臨んだ1999年W杯は3試合とも完敗に終わった。続く2003年大会。ジャパンへの注目度は低かったが、その分、一体感はあった。中3~5日で4試合という厳しい日程で全敗したものの、大久保直弥らの低いタックル、良く練られたセットプレーからの攻撃は心に響くものがあった。
2015年の日本も、W杯が近づくにつれてエディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)と選手の間の摩擦が高まった。しかし、開幕の1か月前に日本ラグビー協会は指揮官の退任を発表。チームは一変する。4年間の「ハードワーク」の成果が一方向に結集。南アフリカ戦のスクラム選択に象徴されるように選手の主体性も高まり、3勝の躍進につながった。
‘19年のジャパンにも似たストーリーがある。「ジェイミー・ジョセフはエディーと違って何も言わない。だから選手がついて行っていない」。岡田さんはラグビー界の知り合いからこんな話を聞いていたという。
「それを聞いて、私は『行けるぞ』って言ったんです。選手が『俺らでやらなきゃ』って動き出すぞってね」。
選手の主体性を生かすことはジョセフHCが狙ったところでもあったが、結末は岡田さんの予言通りとなった。
今月下旬に再始動する日本代表にも、「ブラックパワー」は生じるのではないだろうか。チームはW杯後、1年半に渡って活動できなかった。「他の国はシックスネーションズとかをやっている。若干、焦る部分はある」と姫野は胸の内を明かした。他の選手も多かれ少なかれ危機感を抱いているだろう。
久しぶりのテストマッチ。以前のような長期合宿も組めない。しかも相手は初顔合わせの全英・アイルランド代表ライオンズ。状況だけを見れば、日本の勝利は簡単ではない。しかし、一人ひとりが逆境で「もがく」ことで、逆に開ける道もある。歴史がそう教えてくれる。