ラグビーリパブリック

【コラム】教えるプロは、学ぶプロ。

2021.05.08

スポーツコーチ・エデュケーター、人材育成プロデューサーとして、ビジネスの世界でも奮闘する

 自分のことって、自分が一番見えづらい。

 人を「競技」に置き換えても、一緒だ。

 自分の競技の常識は、他競技で通用しないことがある。逆に、自競技の課題は他競技の課題につながることも。だからこそ、様々な競技の選手や指導者から他競技を学ぼう—―。そんな交流の場作りを、プロラグビーコーチの二ノ丸友幸さん(41)が進めている。

◆啓光学園中の門をくぐったのは、ラグビーを始めるためだった。今は、競技やスポーツの枠を越えて活躍


 
「学びがあれば、指導者が変わる。指導が変われば選手が幸せになれる」

 そんな信念が根底にある。

 競技ごとの閉鎖性が日本スポーツの課題と言われて久しい。その壁を取り払って、他競技から自分が変わるヒントをもらったり、自信を深めたりするきっかけになれば。二ノ丸さんがずっと温めていた考えを実践している。

 コロナ下、直接会うのは難しいけど、オンラインでつながりやすくなった環境は生かせる。週末に音声SNS「クラブハウス」でさまざまな競技のコーチらと課題を話し合ったり、バレーボールの指導者が集まるオンライン講習会に参加したり。そうした情報を「#他競技から学ぼう」とつけて発信する。まだ大きなうねりにはなっていないけれど、じわじわと仲間を増やしている。

「自分で全部の競技を変えようとなんて大それたことを思っているわけじゃない。でも、他競技の人とつきあうとメリットばかり。知らないことを知るのは面白い。指導が変わるヒントをもらえる」

 二ノ丸さんは異色の指導者だ。

 ラグビー全国高校大会で常に上位に進む奈良の強豪、御所実高のコーチとして知られるが、それ以外の複数の学校でも定期的に指導している。ラグビーだけでなく、カーリングチーム「KiTカーリングクラブ」(北海道北見市)の指導を手がけているのもユニークな点だ。氷上の技術指導をするわけではない。チームビルディング、自発的な意見が出やすいミーティングの作り方、どうすれば仕事との両立がうまくいくか。そうした練習以外の日常について助言を送っている。

 16年間にわたるクボタでのサラリーマン生活が基盤にある。

 同志社大学卒業後に進んだカネカのラグビー部が1年目で廃部に。その後、クボタに誘われて面接を受けた時、二ノ丸さんはこう訴えたという。

「仕事で活躍できないなら、この面接で落としてください。もし私に内定を出すなら、きちんと仕事ができる部署に配属してほしい」。ラグビーと仕事の両立を希望したのだった。

 最初の配属先は法務部。法律の知識は皆無だったから、一からビジネス法務を学んだ。事業における独占禁止法順守の社内研修などに力を注いだ。

 東日本大震災の時は放射線対策の新プロジェクト立ち上げに奔走。その後、希望していた広告宣伝部へ。自社の商品をどう世の中に伝え、ブランディングしていくか。実社会を通してノウハウを学んだ。

 2006年にアキレス腱のケガで引退し、中学1年から続いていた「ラグビー選手」の看板を下ろしていた。「(引退から)10年たったら会社を辞めよう」。悔しさの一方で、そんな将来像を頭に描いた。ラグビーのコーチ。そしてクボタに在籍するなかで面白さを感じた企業研修。この二つの道で独立しようと決めた。

 クボタには年1回の試験があり、12年間その試験にパスすると、管理職になれる制度があった。一流企業の管理職を経験した方が次の道に生かせるという考えはあったが、そもそも目標にむかって努力することが掛け値なしに性に合っていた。

 本人いわく「石橋を500回たたいて渡る性格」。常に逆算思考。ラグビーが大好きだから、社業に力を入れるためにあえて母校の試合も見に行かず、ラグビーから5年間距離を置いた時期もあった。2011年からはラグビーを解禁。仕事の合間、週末ごとに御所実高などさまざまな指導の現場を訪れ、交流を深め、指導法を学んだ。そんな生活を5年間休みなく続けた。

 2016年、独立。自らの会社を立ち上げ、複数のチームをプロコーチとして指導するという、これまでになかったスタイルを定着させた。学生として、社会人として、競技をしながらどうやって自分たちの前にある社会でバリューを発揮していくか。「デュアルキャリア」を実践してきた人だからこそ、そうした競技以外の部分も教えられる。それが二ノ丸さんの強みになった。

「クボタを辞めた時の年収を基準にして、それを上回れないと失敗だと思って準備してきた」と言う。準備を失敗することは、失敗を準備することだーー。そんな偉人の言葉も胸に刻む。

 ただ、もちろん、すべてが計算通りに進んできたわけではない。希望の部署に配属されたわけじゃないし、指導したチームを勝たせてあげられなかったこともある。それでも目の前のつらい現実から逃げてこなかった。だから、契約書を自分で書けるし、新規プロジェクトに必要な要素も肌感覚でわかる。社内研修で場数を踏んだことで、人前で話すことも苦ではなくなった。
「今の自分があるのは、クボタのおかげ」。心からそう思える。

 最近は起業をめざす若いアスリートも少なくない。そんな教え子には「会社に入って学ぶことも一つの手やで」と語りかける。たとえ興味がない分野でも、目の前のことを一生懸命やることで気づけなかったことに気付けることがあるからだ。「不快適から逃げないことは大切」

 準備でもっとも大切な要素の一つは自分を知ることだ、と二ノ丸さんは考える。自分のことは自分ではなかなか見えない。だから、いつでも苦言を呈してくれる複数の人間と定期的に会話するよう心がけている。多面的に自分を照らすことで、強みと弱み、今の課題と改善すべき点が見えてくる。課題が分かれば、正しい努力を積み重ねることができる。

 こうした人生が、「他競技から学ぼう」の源泉にある。

 二ノ丸さんはこう笑う。

「今はない道を作り出していくのが面白い。ラグビーのコーチできちんと飯を食べていく。それを、日本代表でもない自分がやることに価値があると思っている」

 道なき道を、周到に突き進む。

啓光学園中の門をくぐったのは、ラグビーを始めるためだった。今は、競技やスポーツの枠を越えて活躍
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