ラグビーリパブリック

ラグビーの多様性文化が後押し。同性愛を公表した村上愛梨のチャレンジ。

2021.05.07

横河武蔵野アルテミ・スターズの仲間たちと。左から3人目が村上愛梨。(撮影/松本かおり)



 東京の女子ラグビーチーム、横河武蔵野アルテミ・スターズの村上愛梨(むらかみ・あいり)。バスケットから転向5年目でサクラフィフティーン(15人制女子日本代表)のキャップを手にした31歳は、同性愛を公表し、「自分に出来ること」のチャレンジを始めている。

「男女ともに分け隔てなく、多様性に対応できるようなスポーツ界でいてほしい。自分はたくさん仕事をしたいタイプ。誰かの役に立つなら、何だってやります」

 3歳でバトントワリングを始め、小学4年から2年間プレーした軟式野球では、日本代表としてオーストラリアに遠征。26歳まで続けたバスケットは中学が出発点で、東京・共栄学園高、千葉・江戸川大、秋田銀行でプレーした。

 江戸川大時代から「ハイクリーンは体重70キロで80キロを挙げていた」(村上)というパワーを誇り、ラグビー転向も勧められたが、ラグビー熱がいよいよ燃え上がったのは銀行員時代の試合観戦。
 秋田・あきぎんスタジアムで行われた秋田ノーザンブレッツ×三菱重工相模原だった。

「お客さんからチケットをもらって初めてラグビーを生で観たんですが、ウイングの選手がトイメンと当たった音が、聞いたこともない音で。なんて激しいんだろうと衝撃を受けて、やらなきゃ、と思ったんです」

 コレと決めたら止まらない性格。女子ラグビーの情報収集から始め、チーム関係者にダイレクトメールで「転向したい」とアタック。大学時代に対戦経験があった元法大バスケ部の中村知春(7人制女子日本代表キャプテン)の活躍も刺激になった。

 ’15年に女子チームの東京フェニックスに入団し、姉妹チームの千葉ペガサスでもプレー。女子セブンズ代表を多種目から発掘する15年のトライアウトに合格し、176㎝の体格も武器になり、未来の7人制女子代表として将来を期待された。

「多種目転向のプロジェクトで選んでもらい、当初はリオ五輪の(7人制女子代表)メンバーに帯同して、合宿にも参加していました。でも経験が足りず足を引っ張ってしまったりして、思い悩んで、その矢先に眼窩底骨折をしてしまいました」

 そんなとき、15人制女子の最高峰大会である女子ラグビーワールドカップ2017アイルランド大会を観た。
 初の8強入りを目指した4大会ぶり出場のサクラフィフティーン(15人制女子日本代表)は、11位に終わったものの、参加12チーム中最多のタックル数を記録するなど、勇敢な戦いぶりで楕円球ファンの心を鷲掴みにした。村上にとっても刺激的だった。

「女子のワールドカップを見たときも衝撃で、この人達と試合に出たい、と思いました。本格的に15人制のフォワードを勉強したいと思い、アルテミ・スターズを見つけて移籍を希望しました」

 15人制への本格転向を決め、チーム創設1年目だった横河武蔵野アルテミ・スターズに入団した。そして19年7月のオーストラリア代表戦に追加招集から途中出場を果たし、サクラフィフティーンの1キャップを獲得。即行動し、当初の目標を叶えた。

「あのときは怪我人の追加招集で、バックアップメンバーとして日本にいました。怪我をした子のチームウェアで急遽出発したのでピチピチで。試合は『もっと出来た』と感じる悔しいデビュー戦になりましたが、めちゃめちゃ良い経験でした」

 他種目からの転向でラグビー界に入り、代表キャップまで手にした村上。
 同性愛の公表は、そんな多様性を前提とするラグビーの文化が後押しになった。カミングアウトのキッカケを訊ねると、村上はまず所属チームの存在を挙げた。

「『ありのままでいい』と思わせてくれたアルテミ・スターズの存在は大きいです。ウェルカムな雰囲気で家族のように扱ってくれます。まずヘッドコーチのスティーブ(・タイナマン)が『すべての仲間を受け入れる』という姿勢で、年齢、代表歴、学歴、上手い、下手は関係なく、みんなひっくるめて『仲間』ですね」



 村上はアルテミ・スターズの仲間にも同性愛を打ち明けている。チーム古株のSO青木蘭、PRラベマイまこと(旧姓・江渕)、PR南早紀などだ。どんな反応が返ってくるだろうと身構えたが、彼女たちの反応はあっさりしたものだった。

 いいじゃん。ジンさん(村上の愛称)は、ジンさんだから。

「『いいじゃん』という感じの反応でしたね。『ジンさんはジンさんだから』みたいな。みんな多様性に対する対応力がすごくあるんです」

 ラグビーの、アルテミ・スターズの多様性文化が心地よかった。

「ラグビーは年齢も、国境も、宗教も越えちゃうスポーツ。体型がバラバラでもやれることは必ずある、という点でも多様性があります」

 日本ラグビー協会としても、2019年10月、国際ゲイラグビー団体とLGBT+への差別や偏見を無くしていくための取り組みをする覚書を締結している。多様性を掲げるスポーツとして差別、偏見の解消へ向けて歩んでいるのだ。

 友人の紹介で知り合った、同性パートナーの存在も大きな支えだ。

「自分よりも私を守ってくれるような人で、安心して自分をさらけ出せます。この人だったら未来を考えられる、と思えた初めての人です」

 海外では2001年4月にオランダで初めて認められた同性婚だが、日本では認められていない。先進7か国(G7)で同性カップルへの法的保護がないのは日本だけだ。

 ’19年2月以降、同性婚を求めて5地裁(東京、大阪、名古屋、札幌、福岡)で集団訴訟が進められてきたが、’21年3月17日、札幌地裁が法律上同性のカップルが結婚できないことは違憲とする歴史的な判決が下された。いま同性婚の法制化へ追い風が吹いている。

「いまは別々に暮らしていますが、同性婚はしたいです。東京地裁の傍聴は一緒に行くようにしています。彼女は美術大学の出身で、絵が得意なので、法廷画を描いて同性婚の支援団体に送ったり、自分達に出来ることは何だろうと考えながら2人で活動しています」

 また村上には最も付き合いの長い理解者がいる。

「お母さんは本当に昔から、私の味方でいてくれました」

 初めて女性と付き合った高校時代は精神的に追い詰められたが、そんなときは母の姿が脳裏によぎった。村上にとっては命の恩人であり、またこの世で一番美味しいおにぎりを作る人でもある。村上をして「豪快」と評する人柄で、ちょうど’19年のワールドカップ期間中、村上の母は「目が合った」という理由で衝動的にトイプードルを買ったという。

 今ではそのトイプードルとのスキンシップが、村上にとっての最高の癒やしになっている。愛犬の名は、’19年ワールドカップで引退した元日本代表にちなんでいる。

「トイプードルを飼っているんですが、名前は『村上トンプソンルーク』です。トンプソン選手が’15年のワールドカップから大好きで。正式な名前なんで、動物病院でも受付で『村上トンプソンルークちゃーん』と呼ばれます(笑)」

 男子日本代表としてワールドカップ4大会に出場したトンプソンルークとの共通点は、ロックであること、そしてハード−ワークをすることだ。

 今後はピッチ内外で「自分に出来ること」にチャレンジしていくつもりでいる。

「学校の部活動は何かが起こった時でも顔を合わせないといけません。そうした面で苦しんでいる子達に寄り添いたい。あとは、ラグビー界の一人としてカミングアウトできる人は本当に少ない。そういった子達に寄り添えるような発信はこれからもしていきたいです」

 またデュアル・キャリアの啓蒙など、女子選手へ向けたサポート活動にも取り組んでいく予定だ。思い立ったら即実行。ロック村上のパワフルな前進に注目だ。