座右の銘が「最高の復讐は、大きな成功を収めることだ」。クラブの公式サイトに書かれた一文に、内なるハングリー精神をにじませる。
もっともオンライン取材に応じれば、殊勝な受け答えを貫く。「目の前のことにフォーカスする」と繰り返す。
「目の前の大会に全力を尽くし、結果を出す」
ディラン・ライリーは、国内屈指の強豪であるパナソニックで2020年より本格的にブレイクした。正アウトサイドCTBに定着し、2021年2月からの日本最高峰トップリーグでも4月25日のプレーオフトーナメント2回戦(対 近鉄/〇54-7/大阪・東大阪市花園ラグビー場)までの8試合すべてに先発。5月8日にはキヤノンとの準々決勝に挑む(埼玉・熊谷ラグビー場)。
身長187センチ、体重102キロの恵まれたサイズと豊かなスピードで、好機を演出する。
「ディランとは対戦相手ではなくて、ほっとしています」
こう語るのは、同僚でFLのベン・ガンター。2人は学生時代を過ごしたオーストラリアで、16歳以下クイーンズランド州代表として切磋琢磨していた。
ガンターが「その頃からいまいるところまで一緒に来られて誇りに思っています」と感慨にふけるのは、2人が試練を乗り越えてきたからか。
現在23歳のガンターは、地元からスーパーラグビーへ出るレッズへ入れず2015年にパナソニックのテストを受験。いまに至っている。5月に24歳となったライリーもまた、2017年に同学年のガンターと似た形で来日した。
南アフリカのダーバンで生まれ、家族で移住したオーストラリアで11歳からラグビーを開始。U20オーストラリア代表に選出されたが、プロクラブとの契約は叶わなかった。
日本が、選手として身を立てられそうな唯一の場所だったのだ。
「当時20歳。スーパーラグビー(国際リーグ)のチームとの契約はありませんでした。プロとしてやっていく道を探していた時、パナソニックが練習生のオファーをくれたんです」
やがて2人は、日本のプレースタイルに適応。かねて持ち合わせていた身体能力とシンクロさせ、成長を遂げている。「日本の速いペースのラグビーに対応すべく、身体を絞る必要があった」とライリー。クラブで示されたプログラムに沿って、余分な肉を削った。
同時並行で磨いたのは、強さや速さとは別領域にある無形の力だ。
ガンターが接点でのしぶとさや起き上がりのスピードを意識するかたわら、ライリーはパスの基本技術をマスターした。
常に相手と正対しながらスペースへパスをさばき、自軍では福岡堅樹、竹山晃暉らWTB勢のトライをお膳立てする。かねて強さと速さが警戒されているだけに、相手にとってはより守りづらい攻め手となった。
「いかに足の速いチームメイトにいいボールを供給するかを意識し、プレーしています。オーストラリアでプレーしていた時は力強いキャリーを持ち味にしていましたが、日本でペースの速いラグビーに触れるなか、自身のパスとキャッチのスキルを培うようになりました。日本のプレースタイルに触れて、幅が広がったと感じています」
果たしてライリーは、ガンターとともに2021年の日本代表候補に名を連ねる。
藤井雄一郎ナショナルチームディレクターによると、代表資格獲得は今年10月以降に得られそう。本人は2018年秋にけがで一時帰国も、以後は日本を離れなかった。「継続居住36か月以上(2022年からは60か月に延びる)」という条件を満たすためだ。
「リストに自分の名前を見た時はエキサイティングな気持ちでした。選んでいただいたことは嬉しいですし、感謝しています。実際にエイジビリティ(資格)が得られるまで時間もある。引き続きハードワークを続け、秋頃に発表されるスコッドにも名前を連ねられるようにしたい」
「いつから、(代表入りを目指していたか)と言われると、回答が難しい。先のことを考えず、目の前のことに取り組んできたからです。最初、パナソニックにやって来た時は練習生でした。目の前の練習、そしてその次…とフォーカスしてきた。ただ、来日を決めた時も、来日してからも、日本代表は特別な存在だと思っていました。またここへ来てから全ての生活、経験が素晴らしく、楽しんでこられています」
日本代表が視線の先に見据えるのは、2023年のワールドカップ・フランス大会。2019年の日本大会で初の8強入りを決めた多国籍軍は、新戦力を携え新たな旅へ出たところだ。
その一員に定着したいライリーは「もちろん、2023年は大きな目標として掲げています。ただ…」。現在はパナソニックのメンバーとして、トップリーグのプレーオフに参戦中だ。
「ひとつひとつの小さな目標を積み重ねた先に、2023年がある。個人スキルの上達を図ることも、そこにたどり着く近道です」
自然な流れで大きな「成功」を得たい。