まだまだ走れる。まだまだ終われない。
奈良県天理市出身の32歳、HO立川直道は、日中はクボタの社員として働き、清水建設ではラグビープレイヤーとして活動する。
グラウンド練習があった日は就寝が深夜1時頃なる日々だが、充実している。
「仕事をしてラグビーをして、という生活が楽しいです。人事を担当していますが組織開発と人材育成を社外で経験できることは、相乗効果があります。仕事でも成果を挙げようと思っていますし、僕にしかできない、と捉えて楽しくやっています」
天理高、天理大、クボタで主将を務めてきた生粋のリーダーだ。4兄弟の3男であり、末弟の理道は日本代表55キャップを保持する現クボタ主将。そんな理道は1学年上の兄・直道を「チームを変革してきたリーダーシップのある人」と最大級に評価する。
弟から尊敬される兄は2018年度、主将も務めたクボタを退団した。
怪我が続いていたので完全燃焼ではなかった。’17年度は足首、’18年度はアキレス腱。内なる炎は衰えず、再チャレンジを決めた。
「燃え尽きた感じがなかったので、完全燃焼できる場所、もう一度試合に出る場を掴みたいという気持ちがありました。清水建設ではクボタの社員のままプレーできる選択肢があり、ぜひ来てほしいと言って下さいました」
2001年からクラブチーム制度を導入する清水建設で2019年、立川直道はプレイヤーとして再スタートを切った。フルタイムの仕事量をこなしながら、平日週3回のチーム練習のために横浜市都筑区の荏田グラウンドに通う。
チームはキャプテンやスクラムについての経験、知識の還元も期待していたが、本人は試合出場を第一とした。その目標通り、2020年度のトップチャレンジリーグ、順位戦の全5試合では2試合に出場。
そして全20チームによるトップリーグ2021のプレーオフ1回戦では、背番号2を背負ってスタメン出場。見事にトップリーグの舞台に返り咲いてみせた。
改革を実行してきた意志の人だ。
天理高ではキャプテンとして上下関係にメスを入れ、2010年度は天理大学のスキッパーに就任すると、チームの雰囲気をガラリと変えた。
「しっかりトレーニングをすること、休養をとることに加えて、『みんなで走ろうぜ』と言って早朝のランニングを始めたり、食事は顔を突き合わせて三食しっかり食べる、といった生活面も変えました」
きっかけは2009年の大学選手権2回戦で、東海大に12−53で大敗したこと。東海大に通う友人に、どんなことやってるの、と訊ねた。
関東のトップチームと伍するための「最後の1ピース」をはっきりと認識した。
「当時から東海大学や帝京大学はトレーニングしてしっかり食事、休養を取って、ということをやっていました。天理大学より高校時代から活躍している選手たちが生活面からしっかり取り組んでいるんだから、強くて当たり前ですよね。当時の天理大学は、小松さん(節夫監督)の指導は理論があり素晴らしく、能力のある選手もいた。あとは選手がどこまでこだわるか、という部分だけが欠けていました」
立川直道を通じて、東海大、帝京大の取り組みが天理大にも流れ込んだ。これまで通りを続けようと思っていた選手からは当然のように不満の声が上がった。しかし立川直道は変革を止めなかった。すぐに結果は出た。
「神戸製鋼のBチームには負けましたが、学生には春シーズンの試合で負けませんでした。結果が出ないないなら、しんどいだけで意味ないじゃないか、となりますが、結果が出たことで一層ハード−ワークできるようになりました」
そして立川直道率いる天理大は勢いそのままに、その年の関西Aリーグを35年ぶりに制するのである。2020年度には、ついに悲願の大学日本一を達成した天理大。雰囲気を変えた改革者は、2021年1月11日の新・国立競技場でその場面に立ち会った。
「国立で観ていました。感慨深い、のひと言です。小松監督は何十年も悔しい想いをしてきたと思っていて、やっと壁を越えた。監督が喜んでいる姿が何より嬉しかったですね」
ただ、初優勝の礎を築いた立川直道だが、「優勝したのは選手たち」と控え目だ。
過去の実績を雄弁に語ることはない。仕事とラグビーを100%で取り組みながら、行けるところまで行き着くつもりだ。
「指導者の勉強はしていますが、仕事は楽しんで取り組んでいて、両立しています。いまは燃え尽きるまで現役をしたいと思います」
目指すのはプレイヤーとしての完全燃焼。改革者の視線は、常に前を向いている。