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今しかできないことを。京大出身の小川拓朗[清水建設]、デビューまでの軌跡。

2021.04.30

京大では4年時に副将を務めた小川拓朗。チームを1年でBリーグに復帰させて、翌年の3位までの礎を作った。就職が決まった大学院2年目は再びチームに戻った(撮影:早浪章弘)

 トップレベルの選手たち。
 立派なスタジアム。
 大勢の観客。

 そこに自分がいる。

 夢にまで見た光景だった——。

 4月18日、京都・たけびしスタジアムでトップリーグ2021のプレーオフ1回戦が行われた。清水建設ブルーシャークスは日野レッドドルフィンズに挑む。

 前半は20―14で挑戦者がリードして折り返した。だが後半は日野のフィジカルに押されて、逆転を許す。最後は突き放された。

 点差が離されている間、清水建設の背番号20は落ち着きがなかった。ベンチでは立ったり座ったりを繰り返す。「早く出たいなって(笑)」。

 小川拓朗のリザーブ入りが決まったのは、試合の1週間前。バックローのケガ人が多く出てしまった事態で抜擢された。
「正直、シーズン中は出られる実力がなかったので、選ばれたときは驚いて心臓バクバクでした(笑)。でもせっかくもらったチャンス。自信のあるタックルで少しでも印象に残るプレーをしたいと思っていました」

 180㌢、96㌔のLOに出番が訪れたのは、後半36分。ルーキーが待望のデビューを飾った。「すごく楽しかった」。
 ボールキャリーは2回。得意のタックルは披露できなかったが、ラックに入った時に日野の選手との体格差に「上には上がいる」と痛感した。

 小川はこの4月で入社2年目になった。中学受験で「超」がつく進学校、西大和学園に合格し、大学は京大医学部へ進んだ。
 京大医学部を志したのは、高校時代に肉離れを繰り返したから。病院や整骨院に通ってもなかなか治らず、先生によって治し方や言うことが違うのも引っかかった。
「誰を信用すればいいか分からなくて、だったら自分で勉強しようと」
 4年時には理学療法士の国家試験もクリアし、そのまま同分野の大学院に進学。内転筋を肉離れした人にお勧めするストレッチ方法などを研究した。

 小川が所属する研究室では、スポーツ系企業の研究職に進むことが多い。小川も当初はその道を考えていた。だが就職活動をしていく中で、地元の兵庫で清水建設に勤める元ラグビーマンに出会う。仕事とラグビーを両立できる環境があることを教えてもらった。

「社会人でラグビーをやるというのは考えてなかったんですけど、レベルの高い環境でラグビーができることに、とても魅力を感じました。できるならチャレンジしたかった」
 そこで清水建設の採用試験を通過し、見事ブルーシャークス入りを果たすのだが、この大きな方向転換、そして決断の背景は中学時代までさかのぼる。

 ラグビーは5歳から伊丹ラグビースクールで始めた。中学3年時に始まった第1回の全国中学(ラグビースクールの部)で準優勝を飾る。小川はPRの1番で出場した。
 共に戦った同級生には、梶村祐介(サントリー)、岡田優輝(トヨタ自動車)、前田剛(神戸製鋼)、喜連航平(NTTコム)がいた。みんなトップリーガーになった。

 高校はラグビー部がなかったため、地元のクラブチーム、SCIXに所属。公式戦は春の県大会だけに限られる中、同級生は花園という大舞台で活躍していた。
「すごく羨ましかった。僕もこいうところに出てみたかった」

 関西の「B」リーグで戦う京大ラグビー部に入ってからも思いは変わらなかった。ただいつしか「自分はレベルの高い環境でラグビーをすることはない」と、心の奥底に悶々とした思いを閉じ込めた。

 大学4年で第一線を退き、大学院ではSCIXに戻りラグビーを楽しむ日々を過ごす。そんな中で、就職活動を通してまだチャンスがあると知った。思いが再燃した。
「今しかできないことは何かと考えた時に、(レベルの高い環境での)ラグビーは今しかできないと」

 だからブルーシャークスへの挑戦を決めた。
 今は日中が仕事でヘトヘトになってから練習に行くこともあるけど、しんどいと思ったことはない。「自分が好きでやっていることですから」。

 思えば高校、大学でもそうだった。高校時代に通ったSCIXでは、週に2回しか練習がなかった。それ以外の日は家に直帰してランニングと筋トレを欠かさずやった。誰かに言われなくても努力できた。

 大学では3年時にCリーグへの降格を経験。コーチのいない環境で、「変わらなければいけない」4年時には、多くの練習メニューを小川が考案した。
 社会人や大学の試合をたくさん見て、自分たちとの違いを探る。同じような動きができるようにするにはどうしたらいいかを考えて、練習に落とし込んだ。その練習の映像を見ては、次どうするかを考えた。「時間は結構かかりましたし、大変な作業でした」。
 それでも続けられたのは、やっぱりラグビーが好きだったからだ。

 だからオフシーズンに入ったいまも自らを追い込む。追い込める。
「試合にも全然出てないですし、これから増量して走り込みます。まずは体力づくりです」

 今は心から臨んだ最高の場所で、大好きなラグビーができることの幸せをかみ締める。

戦況を見守る小川拓朗。後半36分に長く憧れた舞台に立つ(撮影:早浪章弘)