2018年度にそれぞれ3枚、1枚ずつもらっていたイエローカード(10分間の一時退出処分)、レッドカード(一発退場処分)を、2019年度に入ってから今季のレギュラーシーズンが終わるまで1度も与えられていない。
ただし、激しさはそのままだ。身長181センチ、体重101キロのCTBは、劣勢局面でもハードなタックルと接点へのアプローチを重ねる。戦う強豪チームの展開をなんとか鈍らせる。攻めては持ち前の身体能力を活かし、防御の裏へ抜け出る。
NECに在籍4年目で29歳のフィジアン、マリティノ・ネマニは、従来からの持ち味を保ったまま規律を守る。変貌の背景には、日本のインターナショナルスクールで働く妻の助言があったと笑う。
「判定にフラストレーションがたまるものですが、いまはその怒りをいかにコントロールできるかという点に責任感を持っている。自分のことよりも、チームのことを先に考えるようにしています」
大家族の一員だ。再婚相手の子どもを含めると、きょうだいは全部で9人いたという。
「弟と兄が計3人、妹と姉が6人、そして自分です」
世界を旅してきた。母国の小学校でラグビーと出会ったのは8歳の頃だ。少年期、青年期も楕円球を追いかけるが、プレーする場所の空の色や土の匂いはその時々で違った。
弟の1人と渡豪したのは「2001年くらい」とのこと。オーストラリアの大学に通う父へついて行き、「そこでつらかったこともありましたが、新たな国を経験するいい機会でもあった」。土曜は地元クラブのランドウィックで、いまもプレーする15人制のラグビーユニオンを、日曜はプロバリーなる集団で13人制のラグビーリーグを楽しんだ。
13歳でニュージーランドのセイクリッドハート高へ入ったのは、大学生だった父が同国に職を得たからだ。18歳で当時の学生の選抜チームに選ばれたネマニは、まもなくプロ生活を始める。
2012年はスーパーラグビーのチーフスへ入った。地域代表のホークスベイでの活躍が認められたからだ。翌2013年度にはやはり地域代表のベイ・オブ・プレンティを経て、けが人のカバーとしてハイランダーズへ加わる。ここでは、日本人初のスーパーラグビープレーヤーとも同僚になった。SHの田中史朗が「スタミナがあって、とにかく(パスを)さばける。典型的な日本人選手という感じ」だったとネマニは記憶する。
日本へやって来たのは、2015年からの2シーズンをフランスのグルノーブルで過ごしてからだった。神戸製鋼所属で日本代表のラファエレ ティモシーとは、高校時代によく試合をした間柄だ。ふしぎな縁を感じる。
「ニュージーランドのスキルレベルは高く、世界一です。フランスは独特のスタイルがあり、フィジカルが強い。リーグには世界レベルの選手も集まっていた。一方、日本では、フィジカルこそフランスほどではないですが試合運びがとにかく速いです」
昨季は3月にリーグ不成立が決定。新型コロナウイルス感染拡大による社会の変化にはネマニも影響を受け、新シーズンに際しては一度も祖国へ帰れなかった。一息ついたのは、日本で最初の緊急事態宣言が解除された5月以降だったか。石垣島へ渡った。海が見たかった。
「いろいろと大変な状況ですが、世界と比べると、日本は安全だと思います。制限をかけたり、ルールを徹底させたりしようとしたら、それに沿って従う国なので」
今季は開幕前に2度の活動停止にさいなまれながらも、里大輔パフォーマンスアーキテクトらの指導で好守における鋭さを涵養(かんよう)してきた。ネマニはかねて、こう話していた。
「皆、ハードワークしてくれています。歯車ががっちり噛み合っていないところがすべてリンクしたら、今季後半、期待が持てます」
結局、リーグ戦のホワイトカンファレンスでは7戦全敗に終わったが、現行のレギュレーションでは修復のチャンスを残す。4月17日のプレーオフトーナメント1回戦で、下部のトップチャレンジから参加の豊田自動織機とぶつかる。