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【ラグリパWest】一歩引いて、チームを守る。桑原久佳 [関西大学ラグビー部副顧問]

2021.04.13

11年間つとめたラグビー部監督から副顧問に異動した桑原久佳さん。その間、関西大を強化し続けた



 桑原久佳は関西大学のラグビー部にとって、「中興の祖」である。

 監督として、母校をAリーグのステージに引き上げた。「カンダイ」の創部は1923年(大正12)。関西の強豪大では同志社、京都に次ぎ3番目の歴史を誇る。

 桑原はこの4月から、11季つとめた監督を退き、副顧問(副部長)になった。
「そろそろ違う人間がチームを見ないといけません。そうしないと強くならない」
 2か月前に52歳になった。男として脂の乗りを感じながら、道を譲る。

 副顧問として、部のトップである顧問の山本英一(国際部教授)を補佐しながら、これまでやってきた高校生のリクルートなどチーム強化をより深める。

 後任監督に指名したのはコーチから昇格した森拓郎。名古屋商科大を卒業後、サニックスなどでバックローとしてプレーした。兵庫・芦屋の出身ではあるが、卒業生ではない。

 桑原は強化に関して柔軟だ。
「専門分野は任せる、ということです」
 名門にありがちな権高さはない。3学年下の森を「さん」づけで呼び、敬語を使う。

 学生の質問も指導陣にわざと振る。
「自分がわかっていても、答えません。指示系統はひとつにしないといけません」
 監督時代もグラウンドのことはプロ契約を結ぶ2人、森と園田晃将に任せていた。

 ヘッドコーチの園田もこの大学とは関係ない。愛知学院大に学び、サニックスでは森と一緒だった。現役時代はFB。関西大を指導したのは森より先だが、年はひと回り下だ。長幼の順での起用に異論はない。

 桑原は大学職員だ。エクステンション・リードセンターに管理職として勤務する。
「学内の予備校みたいなもんです」
 TOEICなどの英語資格や公務員試験、簿記検定など学生のサポートをする。

 大学卒業後、職員一筋に来た。広報や学部の事務室などに勤務する。4学年上で同じ職員として評価が高い高岡淳とは近い。
「僕のお手本。お世話になっています」
 野球部出身の高岡は総務局長であり、常任理事である。

 野球部は学内を代表するクラブだ。高岡の先輩である右腕・山口高志を擁し、1972年(昭和47)、初の大学4冠(春秋リーグ戦、大学選手権、明治神宮大会)を達成した。高岡は千里山キャンパスにおける人工芝野球場の2016年完成の一助となる。その実力者に可愛がられる性格を桑原は持っている。



 ラグビーは最初の大学選手権に出場した。1964年度。前回の東京五輪の年である。当時は4校制。関西からは同志社とともに挑むも、初戦で法政に3−19で敗れた。次の2回大会から8校制。3〜5回大会まで3連続で出場したが、すべて初戦負けだった。

 1975年秋に入替戦に敗れ、翌年から二部にあたるBリーグで戦う。6年後に再昇格するが、1年で降格した。弱体化の主因はスポーツ推薦がなくなったことにある。その制度はSF(スポーツ・フロンティア)と名前を変え、1992年に復活している。

 桑原の入学は1987年。低迷期にいながら、187センチ、92キロのLOとして、1年生から公式戦出場。リフターのない時代、おのれの跳躍力だけでボールを奪取する。
「2年生から3年連続で入替戦に出ました」
 大阪経済大と天理大に勝てず、昇格はできなかったが、その存在感を示した。

 この競技は併設の関大一高で始めた。
「ラグビーの時代でしたから」
 テレビドラマ『スクール★ウオーズ』の影響が大きかった。高校と大学の7年を含め、社会人になっても楕円球に関わるのは、恩返しとともに、人作りの喜びがある。

「ラグビーを通して、学生を育てる。成長のお手伝いをする。それは、自分にとっては何物にも代えられないものです」
 そのためには強くなった方がいい。大学選手権などの高いステージを経験させれば、進路を含め、学生の人生は変わって来る。

 卒業後はコーチなどで部に関わっていたが、2010年に監督に就任する。3年目の入替戦で摂南大を32−17で降し、紺白の段柄ジャージーを32年ぶりにAリーグに復帰させた。その日、祝勝会を主催する。
「レシートを頭に巻いたら2周いきました」
 学生が喜ぶなら、数十万円の自腹を切ることもいとわない。

 2013年からの成績は7、B、4、8、5、8、B、7位。コロナ禍に見舞われた昨シーズンはAリーグで戦った。関西4位に入った2015年は、47大会ぶり5回目の大学選手権出場。予選プール敗退になったが、法政を29−24で破り、初勝利を挙げた。

 桑原は監督だった11季において、少なくない改革を実行した。
 園田、森はもちろん、肉体改造の名手である佐名木宗貴をコーチとして招へいする。入試課にいた関係もあり、スポーツや指定校推薦を整える。この年度末の第22回選抜大会を制した東福岡からは2人が入学。正PRだった宮内慶大とCTB立石和馬の評価は高い。

「学生に、勝て、だけではダメ。自分たちも何かしないと」
 時間のある時は学生とウエイトトレに励む。ベンチプレスは110キロを差し上げる。学生とわずかでも同じ立場に身を置く。

 もろもろの努力が形になればうれしい。関西大は2年後、創部100周年を迎える。