本来のダイナミックな動きで勝利に貢献した。
キヤノンのFB橋野皓介は、3月27日に秩父宮ラグビー場でおこなわれたリコー戦で躍動した。
31-28で競り勝った80分。キヤノンは先に点を取ったものの、先行される時間が長かった。
前半を7-14とリードされ、後半16分には7-21。苦しい展開だった。
しかし、赤いジャージーは勢いを取り戻す。後半21分には14-21。さらに3分後には21-21と追いついた。
橋野が好プレーを見せたのは、後半33分だった。その4分前にトライ、ゴールを奪われて7点のビハインドを背負っていた。
敵陣10メートルライン付近の左ラインアウトからの展開で、ボールを受けた橋野は防御のウラにキックを転がす。WTBホセア・サウマキのトライを呼んだ。
チームはそのトライを機に逆転勝利を手にした。
東京五輪でのメダル獲得を目指して活動するオリンピックスコッドを昨年4月に離れた。
大会の延期に、張り詰めていた気持ちを維持できないと思った。当時、「ゴール寸前でもう1周、と言われたような感覚」と話した。
世界中のあちこちを旅して、ともに戦ってきた仲間たちと、道を別にする決断をした。
「15人制からセブンズへの移行は、走りの質が違うので簡単ではないけど、その逆はそう難しくない」と言うように、15人制専念はスムーズだった。コロナ禍による個人トレーニング期間に体作りも進めたから、プレシーズンマッチの出来も悪くなかった。
その証拠に、開幕から2試合続けて先発の座をつかんだ(NTTドコモ戦=FB、神戸製鋼戦=WTB)。
しかしチームは連敗スタートを切る。自身のパフォーマンスも良くなかった。第3戦、第4戦とメンバーから外れた。
「結果を出さないといけない。そのことばかり考えていた」と話す。
入団11年目のベテラン。チームは沢木敬介監督、田村優主将という新体制のもと、注目されているし、何より、勝たないとイーグルスが失速すると不安だった。
そんな気持ちが、自分の持ち味であるダイナミックさを奪っていた。
目が覚めたのはメンバー外となった期間だった。開幕2戦を振り返り、「考えすぎていた」と気づく。
沢木監督にも「ベテランの良さを出せ。こういうとき(連敗という状況)に小さくプレーしてどうする」と指摘された。
「そうだな、と。気負いすぎていました。それで、まずは自分のプレーに集中した」
練習中からパフォーマンスが変わった。結果、リコー戦でふたたび15番を背中につけた。
セブンズのエキスパートとして過ごした期間に、多くのことを得た。ファミリーと呼ばれる小所帯で世界中を転戦する中、たくましくなった。
前述の、サウマキのトライを生んだスペース感覚も、その一部だ。
しかし、経験値として何よりも大きいのは、ちょっとやそっとのことでは動じなくなったことだ。あの世界では、アクシデントは当たり前だった。
例えばフィジーにて。
試合時間はすぐに変更になる。対戦相手が変わったり、来なかったり。バスが来ない、遅れるなんて日常茶飯事。
「だから対応力がつきました。予定がなかったのに、急に試合に出ることになっても大丈夫。今シーズンも、そんなことがあった」
ルーティーンを持たない。「それがないと動けない」では、セブンズ界では生きていけなかった。
その対応力がいま、チームを支える力のひとつになっている。
新監督、新主将の牽引力で、チームは大きく変わったと感じている。
ピッチで戦う者と、メンバー外の温度差がなくなった。監督、主将の強烈なリーダーシップのもと、一丸となって戦う。
大改革は痛みをともなうものだ。開幕からの3連敗も、チームが進化する過程には織り込み済みのものだったかも、と思う。
チームは苦悩のシーズン序盤を経て、あらためて自分たちが取り組んでいるスタイルを信じられるようになった。
「山本雄貴(同志社大から加入)という1年目の選手がいます。試合には出られていないのですが、それなら違った形でチームに貢献しようと、チーム全体のモチベーションを上げるような仕掛けをやってくれる。僕自身もそれに助けられているし、そういう人物がでてきたことが、すごく嬉しい」
勝てるようになってきた理由はピッチの外にもある。チームを愛する者として、それが誇らしい。
3児の父(娘と2人の息子)。上のふたりがラグビーを分かるようになってきたと喜ぶ。
セブンズを離れる時、「自分のためにプレーしているのは当然なのですが、子どもたちの前でプレーすること、みんながラグビーを理解できるようになるまでやり続けることを、(新たな)モチベーションにしたい」と言った。
リコー戦での活躍は、両親と妻、子どもたちの見つめる前でのものだった。
描く未来図を、もっともっと重ねたい。