嬉し涙。それは、周囲の人たちも幸せにしてくれる。
3月27日だった。
同日、秩父宮ラグビー場でおこなわれたトップリーグのキヤノン×リコーは面白い展開だった。ファイナルスコアは31-28。後半39分のSO田村優主将のPG成功により、赤いジャージーが勝利をつかんだ。
試合が終わった瞬間だった。後半25分に登場し、トライを決めるなど効果的な活躍を見せたキヤノンのWTB、ホセア・サウマキが背番号19のもとに駆け寄った。
抱き合う。ふたりで地面にひざまずき、神に祈る。この日を迎えられたことに感謝した。
ふたりの目には嬉し涙があった。やがて田村主将も駆け寄り、兄弟を抱きかかえた。
ホセアの弟、サウマキ アマナキ(以下、アマナキ)のトップリーグ初出場をチームのみんなが祝福した。
入団5年目で迎えたデビュー戦だった。
試合後、オンライン記者会見に出席した兄・ホセアは、勝利について「自分たちのスタイルを信じた結果」と話した後、弟とともにピッチに立った感激を口にした。
「ずっと持っていた夢のひとつでした。彼は成長し、信頼を得てフィールドに立てた。そこに私も一緒にいられて特別な日になった」
試合前、「家族のためにプレーしよう」と弟に伝えた。
ふたりは5歳違いの兄弟。
ともにトンガの首都、ヌクアロファのあるトンガタプ島から300㌔弱離れた(飛行機で約45分)ヴァヴァウ島に生まれた。
大東大入学時に来日した兄の方が日本での生活は長いけれど、キヤノンに加わったのは弟の方が1年先だ。
ラグビーマガジンに載った兄のインタビュー記事を読んだ当時のイーグルスのスタッフが、楕円球を追う弟が故郷にいることを知り、南の島へ飛んだ。実力と人柄を確かめ、入団の話を持ちかけた。
日本で活躍する兄に憧れていたアマナキは、同じようにラグビーで生きていくチャンスをいつも思い浮かべていた。その誘いがとても嬉しかった。
「チャンスは一度しかない、と思った」と、日本行きを決める。トゥポウ高の2年生だった。
兄弟は幼い頃、学校を終えるといつも家の手伝いをしていた。上から「男男男男女男女女女」という9人兄妹の三男と五男。
ふたりは、日本にいる自分たちで家族をサポートしようと誓い合って生きてきた。遠い場所に住んでいるけれど、故郷へ注ぐ愛情は大きい。
デビュー戦となった対リコーの試合メンバーは、4日前の火曜日に発表された。そこにアマナキの名があった。
「とても嬉しかった。興奮しました。同時に緊張感も増しました」と本人が語る。
試合前夜はリラックスできた。妻と子どもに電話をした。
ピッチに立ったのは後半16分から(LO田中真一と交代し、スクラムでも4番に入った)。直前の心境を「とても緊張していましたが、楽しみで早く試合に出たかった」と振り返る。
「兄には、ハードにプレーして楽しめと言われました。チームメートは、リラックスして練習のようにやればいいと言ってくれた」
プレーした24分間を回想し、「初キャップ。とても気持ち良かった」と話す。
試合終了間際、3点のリードを守り切るため、チームはボールを保持し続けるプレーを選択した。
田村主将がボールを蹴り出して試合を終わらせる直前、SH田中史朗からパスを受けて相手FWに体を当てたのがこの人だった。
「リコーは大きな選手がいて、外国出身選手も多い。とてもハードな試合でしたが、チームは、それに対してプランを立てていたので自信がありました」
目立つプレーこそなかったが、忠実に動き続けた。
高校時代もバックローだったが、キヤノンではWTB。ふたたびFWに戻ったのは今季、沢木敬介監督が就任してからだ。新指揮官は、「すぐに(適性を見て、ポジションを)変えました」と話す。
期待を受け、本人も前向きに受け入れたから伸びた。「ボールに絡むことが好きなのでバックローへ移動して良かった」と笑う。
デビュー戦を終えた後、監督が「もっともっと良くなりますよ」と話せば、佐々木隆道FWコーチも「彼の長所は下半身の強さから生み出されるパワーとスピード」と証言する。
近い将来、日本を代表する選手へと成長する可能性も秘める。
「もっとプレーの機会を持ちたい。そして日本のためにプレーしたい」
まだ24歳。本人も上を見つめる。
サウマキ家の新しい物語が始まった。