ラグビーリパブリック

【コラム】どこまで聞いても一部分

2021.03.30

「やり切らせる」はモットーの一つ。たとえ敗れても力を出し切る経験を得てほしい。指導に入り早い時期からその点を大切にしてきた(撮影:牛島寿人)

 ラグビーは人間として一番大事なものを養成できる競技や——。

 3月も暮れ、32年間にわたる教師生活をまさに終えようとしている名将がいる。

 竹田寛行氏は奈良県立御所実業高校の監督として、常に全国トップレベルを争う名将だ。入道のようながっしりとした身体。日に焼けた帽子のつばの下に存在感のある眼。長靴をはいて、かつては土だったグラウンドでぬかるみに立つ姿が印象深い。

◆長野県・菅平合宿での一コマ。チームには試練を課した時期

「こっちで火に当たってください。冷えるでしょう」

 冬ならば暖を、照りつける夏空の下なら冷たいお茶を勧めて、グラウンドに現れる記者や関係者には穏やかに、いつもていねいに接してくださる姿にはこちらが恐縮してしまう。

 竹田先生が始めたイベントの一つにラグビーフェスティバルがある。全国から御所の地に訪れる熱心な指導者たち、彼らが率いるチームが十、二十と集まって、選手はグラウンド横のセミナーハウスに泊まり込み、合同練習や練習試合で切磋琢磨する。先生方の夜は、ビールや串物を囲んで情報交換、指導についての思いも交えて更けていく。

 そのイベントの取材に、私がお邪魔したのは15年以上前だ。

「泊まりで来てくださいね」とのお言葉に甘えて、夜更けのセミナーハウス。もう寝るだけの安堵感の中、宿直室で再開した先生方のラグビー談義は、リモート飲みよろしく終わる気配がない。少し風に当ろうと外へ出ると、地階にある集会室の部屋からあかりが漏れていた。カーテンの隙間を覗くと、なんと中には御所のラグビー部員が十人以上いた。黒板を前に何やら話し込んでいる。夜11時は回っていたはずだ。前に立って司会を務めているのは、高校ラグビーでは当時誰もが知るまだ2年生のエースだった。

 竹田監督は教師として32年間、誰よりも早く来て門を開け、最後に学校を後にする生活を貫いた先生だ。そして、安全や事故防止は絶対に怠らない。だから高校生たちが夜更けにミーティングに励んでいることを知らない、はずがない。竹田監督は、この人達のことをどこか頭に置きながら、目の前の指導者仲間たちに心を砕いていたのだ。私が酒席に戻ると、先生はマッサージ師のように、先輩コーチに腰のほぐし方を教えているところだった。

 先生に申し訳ない気持ちになって、先に部屋に引き上げさせてもらい床に入った。横になったが寝付けず、選手たちを真似るような気持ちで、前の日のぶんの書き仕事を一つ片付けることにした。高校生たちにあやかりたくて、真夜中に形だけキーボードに向かってみた次第。この御所ってところは、なんて場所なんだろう。驚きと感激のなか書いたラグビーフェスティバルのレポートは、めちゃくちゃ長く、またこってりしすぎて使い物にならなかった。

 竹田先生は今後もラグビー部の監督として指導を続ける。続けるにあたって大きいのは、3月31日限りで教師を退職されることだ。ご本人にとって、ラグビーの指導はこれまで仕事の一部だった。公立校であり、部活指導だけをしてきたわけではない。他の先生方と同じに授業も生徒も持っていた。

「こうして出先にいても、学校の生徒たちのことが気になる瞬間は正直、あります。子供には僕ら責任がありますね。まあでも、単純にかわいいですよ」。にかっと笑う。

 昨夏に菅平でお会いした時の言葉だ。この時は、先生としてのもう一つの領分も日々、行き来しながら芝の上に立っていることを、思い知らされたのだった。お話を伺っても伺っても、それは竹田寛行のごく一部でしかない。コロナとラグビーのことしか聞かない編集者にもしかし、先生はていねいに応じてくださっていた。

 2021年4月、竹田寛行が先生ではなくなる。教職については「自分なりに目一杯やりました」とさっぱりしている。金銭的な意味ではなく、ここからは御所ラグビーの指導者、運営者のプロフェッショナルとなるはず。人脈や支援者の輪はすでにこれ以上ないほど広がっている。あとはやり切るだけだ。プロになった竹田監督のアクションに注目する。

追記

 竹田監督が自らの指導の軌跡をまとめた本が出版される。個人的なおすすめ部分はライバル、天理高校について書いた第5章だ。当時の天理・田中克己監督が、まだよちよち歩きの御所工業(当時)の練習見学を受け入れてくれ、練習参加までさせてくれたことへの感激がなんだかみずみずしい。のちに全国から人が集まるようになる御所の寛容さは、最大のライバルに教わったことだった。

【特設サイト】「竹田流」人間力の高め方 御所実業高校ラグビー部の挑戦

長野県・菅平合宿での一コマ。チームには試練を課した時期(撮影:長岡洋幸)