まだ見ぬ全国の舞台にたどりつくための強みができる。
浪速高校に人工芝のフルサイズグラウンドが完成する。濃淡の緑は春の陽光に輝く。
ラグビー部主将でNO8の萬代和磨(まんだい・かずま)はニッコリする。
「ここなら試合形式の練習がすぐにできます。向上心を持ってやっていきます」
それまでの校内グラウンドは土で70メートル四方。サッカーやアメフト、それに併設する中学で回していた。共用は変わらないが、日々の満足度はまったく違う。
人工芝グラウンドを400メートルトラックが包み、その周囲は光度の高いLED照明がそびえる。西側にはグラウンドに沿って3階建ての建物があり、更衣室や教職員用の部屋などが入る。最上階は観覧席が作られる。
3月20日、グラウンド開きのセレモニーがあった。その後、同じ大阪府内にある常翔学園との間で記念試合が行われた。相手は花園制覇5回、歴代5位の名門である。
野上友一は感嘆する。
「ええグラウンドやなあ。すごいなあ」
常翔学園は2月の近畿大会を制した。3月25日に開幕した22回目の選抜大会でも優勝候補に挙げられている。
応接する33歳の青年監督、鳥飼賢(とりかい・まさる)には感謝がある。
「よく来てくださいました」
浪速と常翔学園、旧校名の大阪工大高とは重なる縁がある。
鳥飼は高校日本代表のCTBだった。啓光学園の3年時に自校の記録を更新する全国大会5連覇に挑んだ。それを8強戦で阻んだのは野上が指揮した大阪工大高。12−29。85回大会(2005年度)だった。現在、啓光学園は常翔啓光と名前を変え、兄弟校になっている。
浪速は創部して70年以上を経るが、全国大会の府予選決勝に1度だけ勝ち上がったことがある。半世紀近く前、1974年(昭和49)の53回大会。その時の相手も大阪工大高だった。6−30の記録が残る。
浪速校長の飯田智文はラグビー部の前監督でもあった。野上とは国体の選抜チーム「オール大阪」でスタッフだった。
「私が監督、飯田先生がBKコーチで2005年の岡山国体で優勝しました」
あいさつの中にそれが混ざる。決勝は大分に35−29。4年ぶり9回目の頂点だった。
それらをすべて加味して野上は1軍を連れてやって来た。淀川のほとりからグラウンドのある堺市美原区まで大阪市を縦断する。
浪速の学校所在地は大阪市の南、住吉区にある。新グラウンドへはスクールバスで高速を使えば20分ほどで到着する。
学校は神道系の私立共学校。校内に「学院神社」がある。命名もそれにちなみ、新グラウンドは「乾坤一擲」(けんこんいってき)、それを含むスポーツキャンパスは「高天原」(たかまのはら)に決まった。
乾坤一擲は<運命を賭して、乗るか反るかの勝負をすること>。高天原は<天つ神=あまつかみ=がいたという天上の国>。岩波書店の広辞苑にはそう書かれている。
その学校創立は1923年(大正12)。100周年を間近に控える。関西のトップ私大、関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)に毎年100人前後を送り込み、進学校化も進む。この4月の新入生は700人超の18クラス。ここにも学校の勢いは現れる。
ラグビー部は鳥飼が赴任した2017年以来、力をつけてきている。啓光学園からは龍谷大に進み、日本新薬で会社員を3年経験した後、保健・体育教員として赴任した。
昨秋、100回大会府予選は第三地区で4強に勝ち上がった。同志社香里に7−36。紺×水色×白ジャージーにとって、2度目の決勝進出は現実味を帯びる。
ラグビー部から同志社大に入った者もいる。新2年生の楠本勝大(しょうだい)。192センチの大型LOは指定校推薦で入学した。唯一のOBトップリーガーだった高平拓弥が昨シーズンで引退。リコーのFBだった先輩をしのぐ成長が期待されている。
新チームで臨んだ今年1月の近畿大会は初戦で関大北陽に5−57。勝者は決勝で東海大大阪仰星に0−106と大敗した。
「今年は今のところ力は落ちます」
鳥飼は話す。3大会前は決勝に進出。仰星に0−74と敗北している。
常翔学園との記念試合は0−115(前半0−54)。日本一へ至近距離にいる紺赤ジャージーに17トライを献上した。
「力の差を痛感しました」
鳥飼は視線を伏せた。
「それでも、胸を貸してもらえたのは、ありがたかったです」
常翔学園は選抜の初戦を5日後に控えながら、ベストメンバーでファーストジャージーを着用して、手を抜かなかった。その恩を忘れず、いずれラグビーで返したい。
新チームの選手は30人(新3年=16、新2年=14)。新1年は経験者を中心に少なくとも14人の入部が決まっている。紅白戦はいつでもできる。人数は申し分ない。
この人工芝グラウンドを突破口に、常翔学園との距離を縮めていきたい。