雷が鳴った。
スクラムを組み直そうとしていたところで、中へ入ってください、と告げられた。
3月13日、東京は秩父宮ラグビー場。サントリーとの国内トップリーグ第4節に挑んでいた東芝の知念雄は、同僚とロッカールームへ戻り、試合再開を待った。
2017年8月19日の第1節でも似たことがあり、その際は90分を経てNECを20-0で制した。会場は今回と同じ秩父宮だ。NEC戦ではメンバー外だった知念は、スムーズな着替えや休息を促すスタッフを見て「あの時(2017年)の経験が活きているな」と感心した。
まもなくサントリー戦の中止が決まって残念がりはしたが、その時点で代替試合があるかもしれないと聞かされていた。気持ちを切り替えた。
サントリーとは東京都府中市を本拠地とする者同士。結局、20日に同じ場所で開かれることになった同じカードに向け、2015年に正式入部の知念は決意を新たにする。
「特別な相手。他の相手の時に燃えないかと言われれば燃えているんですが、やはり(サントリー戦では)特別な燃え方をしている」
ここまで防御の出足や倒れずに球をつなぐ攻めで可能性を示しながら、チームは1勝2敗と苦しむ。リーグ戦の残り4試合、そして4月中旬からのプレーオフトーナメントへ、課題を明らかにする。
「(負けた)初戦、2戦目は、僕たちのやりたいことをできた時間帯が40分あった。トヨタ自動車戦での後半のアタックは自信を持ってできたし(33-34で惜敗も後半のスコアは26-10)、クボタ戦の前半は自信を持ってディフェンスしていた(7-39と惨敗も前半のスコアは0-7)。ただ、相手がやりたい、自分たちがやりたくないことをする時間帯が多く、そのまま負けている。80分通してやるのがラグビー。東芝の強いアタック、ディフェンスに一貫性を持つ。周りの人が見て『東芝って、一体感あるよね』とわかってもらえるくらいのラグビーができたら、結果もついてくる。ぶれずにやっていきます」
ハンマー投げの選手だった。沖縄の那覇西高では全国高校総体や国民体育大会で優勝。東京の順天堂大時代もインカレで2度、頂点に立った。
ラグビーは東芝で本格的に始めた。学生時代、陸上のオフ期間に関東大学リーグ戦4部だったラグビー部の試合へ助っ人参戦していると、対戦相手の駿河台大監督で元日本代表の松尾勝博から正式に転向するよう勧められた。縁あって東芝の練習生となった2014年5月は、23歳の大学院生だった。
現在の公式で身長183センチ、体重125キロ。主な働き場はスクラムの要、右PRだ。恵まれた体格とフィジカリティを長所に、次々とチャンスをつかむ。
2016年には、若手中心の日本代表に選ばれアジアラグビーチャンピオンシップへ参戦した。そのチームを率いた中竹竜二(現 日本ラグビー協会理事)に助言され、決心する。
「ラグビーがわかっていないことを負い目のように捉えていたんですけど、あまりそれを口にしないほうがチームのためにもなる。いままで以上にガツガツいこう」
そもそも陸上競技に別れを告げたのは、現 東芝ゼネラルマネージャーで監督経験のある薫田真広から「ラグビーでワールドカップを目指しませんか」と発破をかけられたから。部内で日本代表経験者や年下の有望株とポジションを争いながら、自分に言い聞かせた。
「ワールドカップに出ることが、わざわざ競技転向を勧めてくれた人たちへの恩返し。東芝の社内でも、ハンマー投げの選手を採っていいですかと言われて、いきなりイエスと言った人ばかりではないかもしれないんですよ。知念を採ってよかった、ラグビーに転向させてよかったと思ってもらえるようにやらなきゃいけない」
4年に一度のワールドカップは2019年、日本で開かれた。
9月20日、東京スタジアムでの開幕戦。29歳の誕生日を間近に控えていた知念は、観客席にいた。
「感動しましたね。もちろん、あの場に立っていたらもっと最高だろうなとは感じましたし、最終選考とかに残っていたら悔しさもあったと思う。ただそれよりも、身近にいた(東芝の同僚の)リーチ(マイケル)さん、試合には出ていないですが徳永(祥尭)があの場で戦えていて、単純にかっこいいなと。ここまで感動することはなかなかないなと思ったことは、いまでも覚えている」
この夜の日本代表は緊張のあまり、格下と見られたロシア代表に先制される。それでも徐々に建て直し、30-10で白星を挙げる。
「たまたま僕の周りの席には初めてラグビーを観るような人が多かったので、(リードされている間は)後ろからは『大丈夫かよ』みたいな声もありました。ただ、『まぁ落ち着けよ。いまの代表、強いから』と」
知念は当時を楽しげに振り返りつつ、代表への視線も明かす。ちなみにこの大会中はほかに、日本代表が南アフリカ代表に3-26で屈した東京スタジアムでの準々決勝(10月20日)も生観戦できた。
「あの(日本代表の)ユニフォームを着てラグビーがしたいなと、より強く感じました。ラグビーをやっている間は日本代表になって戦いたい。それはラグビーを始めた時から思っていることです。いまの一番の目標は、前の日の自分よりも向上すること。スクラムでも、フィールドの動きでも、ウェイトの数値でも、いつも練習で計測しているGPS(走行距離)の数値でも……」
日本代表が史上初の8強入りを果たしてからそう時間が経たぬうちに、社会は変わった。2020年のトップリーグは、レギュラーシーズン全体の半分弱の消化で不成立となった。
今年2月20日からの新シーズンにあたっても、知念は「世の中の情勢的に(試合を)やってもいいのかな」と不安になった。
いざ本番に突入すれば、日々の検温が義務付けられたり、会場の各所にアルコール消毒液が置かれたりするのに気付く。観客数が制限されるなかでもトップレベルの試合を披露できる喜びを、再認識している。
「やっとお客さんが入ったなかでラグビーができたのが、まずは、嬉しくて。開幕戦でも、中(グラウンドレベル)から(スタンドを)見たら、東芝のファン、トヨタ自動車のファンもたくさんいるように見えました(愛知・パロマ瑞穂ラグビー場)。2試合目は(聖地と呼ばれる)秩父宮でしたし、3試合目の釜石もいっぱい人が来てくれた(岩手・釜石鵜住居復興スタジアムで三菱重工相模原に58-7で勝利)。まだ3会場しかやっていないですけど、どこも(新型コロナウイルス感染症)対策はしっかりしている。ファンの方々と接触できないなどの制限はありますが、できないことを考えるのではなく、できることをやっていると感じます。僕らはそれに則って、最大限のパフォーマンスを出すことに集中しています」
異例の競技転向が注目された30歳は、次戦もトップリーガーとして「前の日の自分」を更新する。