『黙る』。
新年度のテーマをそう決めた。湯浅大智は今年、不惑になる。
「高校生が自分たちでもっと考えてほしいのです。知識は与えています。型は渡しているので、それを使って、自分たちで形を作る。いびつでも構いません」
ロスタイム18分、伝説になった8強戦が東海大大阪仰星の監督を沈黙に導く。
100回記念大会。年始3日、東福岡に21−21と引き分ける。
「ヒガシはあのしびれる場面でキックをチョイスできました。やられた、と思いました」
お互い、決勝得点を狙う18分の中、ライン裏にボールを転がされる。
守備者を遮ったという判定でノー・トライになったが、湯浅は感銘を受ける。「出場権なし」の悔しさよりも強かった。東福岡は選手たちだけの瞬時の判断で、ボールを手放すリスクを冒しても、5点を狙う姿勢を示した。
「勝ち切ることの準備はしていました。でもそれをグラウンド上で表現するための思考をコーチングできていませんでした」
グラウンドを方眼紙に見立て、そこに斜め線を入れ、攻める方向を教える。恩師の土井崇司(現・東海大相模校長)を始まりとする全国トップの理論は、落とし込み済みだった。
その湯浅の背中をさらに押す出来事があった。仰星の先輩教員からメールが来る。
<部員たちの力を引き出せているか?>
ある日、戦略を問うた時、高校生は口ごもった。その姿を先輩教員が見ていた。
「つまってしまうのは、委縮しているのではないか、という指摘でした」
間違えたことを答えれば、高いラグビー偏差値を持った自分に軽んじられたり、怒られる。その恐怖が、高校生の自由な発想を阻害している。湯浅はそのように取った。
「この2年は8強、8強。私自身も変わらないといけません」
99回大会も御所実に0−14で敗れた。その前は本大会にすら出られなかった。府予選決勝で常翔学園に7−54。早稲田に進み、主将になったCTB長田智希やFB河瀬諒介を擁して5回目の全国制覇を成し遂げて以来、3大会で「飛球の大旗」を獲れていない。
湯浅は新チームを結成後、練習ではできるだけ声をかけないようにしている。始まる前に主将の薄田周希(うすだ・しゅうき)を呼び、ホワイトボードにその日のメニューを書き込む。各ポイントを伝え、あとは70人の部員(新3年=39、新2年=31)の動きをグラウンドの外から見守る。
薄田は話す。
「去年はひとつ上の人たちに任せていましたが、今年は自分たちで考えるように心がけて練習をしています。もし意図を間違っていれば先生から一言で指摘が入ります」
部員たちの裁量を認めた上で、今年、テクニカルの中心に据えるのは「守り」である。湯浅は公言している。
「タックルできるやつがジャージーを着る」
薄田にかじ取り役を任せたのも、その意志が透ける。180センチ、92キロのFLはハードヒットの大黒柱でもある。
従来、「攻め」に軸足を置いていた仰星にとって、ここにも変化はある。
「アタックはみんな好き。やれますから。ディフェンスのところで力の差が出る」
ワニと呼ばれる這い歩きやダブルタックル、そこからのジャッカルなど、3時間近い練習のすべてを守りに費やす日もある。
その方向に向いたのも東福岡戦だ。
「ディフェンスは粘ったように見えますが、ボールを奪い返すまではいっていません」
湯浅が親しみを込めて「ゆーいちろーさん」と呼ぶ敵将の藤田雄一郎は、この戦いを「もはや定期戦」と話したという。
全国大会での通算対戦成績は仰星の5勝4敗1分。20回出場の半数で激戦は起こる。両校ともシード校のため、対戦は常に8強以上だ。決勝での顔合わせは3回。東福岡の優勝は仰星を1しのぐ6回。歴代4位の記録になる。紺×水色×白にジャージーにとって、モスグリーンからは幾多の学びがある。
守備力を磨く仰星は、3月25日に開幕する22回目の選抜大会に出場する。目指すのは6大会ぶり3回目の優勝だ。
1回戦は開志国際(新潟)、勝てば朝明(あさけ/三重)と日川(山梨)の勝者と対戦する。連勝すれば8強入り。今年はコロナの関係でトーナメントになった。
選抜への出場を決める近畿大会は4位だった。コロナ疑いのため、4強戦を棄権した。前日2月19日、大会登録メンバー30人の保護者に陽性反応が出る。大阪桐蔭が不戦勝となった。優勝は常翔学園。その相手を34−17で退けた。
「近畿大会で試合をやれなかった分、チームの選抜へのモチベーションは高いです」
そして、湯浅は続ける。
「どんなラグビーをするかではなく、どんな人とラグビーをするかだと思います」
思考の尊重は、勝負師より、本来の保健・体育教員という教育者の部分に傾く。
仰星は大会開幕の2日前、3月23日、決戦の地となる埼玉・熊谷に向け、東上する。