「鉄人」と呼ばれた男は、もう20年近く前に食べた妻の手料理の味やにおいを、今も明確に覚えている。
元木由記雄。日本代表キャップは79。W杯には4大会連続で出場した。責任感そのものを体現したプレー。神戸製鋼では数々のタイトルに貢献した。日本ラグビー界のレジェンドの一人だ。現在は、京都産業大ラグビー部のGMを務める。
そんな元木さんは、ある病気に苦しんだ過去がある。
パニック障害。
辞書をひけば、「不安神経症の一つ。突発的に強い不安感におそわれ、動悸、めまい、からだのしびれなどの発作が繰り返し起こる」とある。
最初に異変を感じたのは、職場での立ちくらみだった。イスから立った時にクラッとした。「おかしいな」とは思った。でも、練習ができないほどではなかった。
しばらくして、自宅で食事をしている時、いきなり動悸が激しくなった。「首をわしづかみにされたような症状になった」。うまく呼吸ができない。汗が噴き出る。一人で立ちあがることができず、妻の運転する車で病院に行った。
脳や心臓に問題はない。そう診断された。その後、胃カメラを入れたり、髄液を調べたり、あらゆる検査をした。当時、精神的な病気に関する知識はなかった。最後に医者から「精神科に行ってみてください」と言われてもピンとこなかった。
パニック障害と診断された時は、少し安心した。「メンタルの部分とはみじんも思っていなかったから。原因が分かったのがよかった」
それでも、その1か月は「人生で一番しんどい時だった」と振り返る。動悸は止まらず、不安感から冷や汗をかきっぱなしだった。食事した時に倒れたからか、ご飯を食べることができなかった。栄養摂取はプリンとゼリーだけで、合間に点滴を受けていた。体重は10キロほど減った。家では、ほぼ布団をかぶっていた。
そんな状態でも、練習は続けていた。当時の平尾誠二GMに「治療に専念しろ」と言われたが、「ほかの選手に病気のことを言わないでほしい」と頼んだことだけは覚えている。
「やせていく姿は気付かれていたと思うけど、チームに迷惑をかけたくなかった。弱みは見せるものじゃないと思っていた。心配されるのもいやだった」。日々を乗り切るのに、必死だった。
医者からは気持ちの持ち方を教えてもらった。その時に処方された薬は、以降8年ほど服用することになる。
心身が少し落ち着き始めたある日、急におなかがすいた。
「何か作ってくれ」
そう妻に頼んだ。
カマスの塩焼きとごはんとみそ汁が、テーブルに並んだ。かみしめるように食べた。
「あの味は忘れない。食べられたことが、本当にうれしくて」
病気で人生観は変わった。
それまで、「お前ら、もっとできるだろう。もっとやれよ」とチームメートを物足りなく思っていた。でも彼らの支えがあって、自分が活かされていることに思いが至った。断っていた飲み会にも行くようになった。独りよがりだった自分に気づくことができた。
振り返れば、悔いの残る結果に終わった1999年のW杯以降も、神戸製鋼の試合に途切れなく出ていた。無理がたたってふくらはぎを痛め、チームの練習も、日本代表の合宿も休むようになっていた。チームに協力できず、迷惑をかけている。ケガをした自分が情けない。プレッシャーに思い悩んでいたのに、そんな本心から背を向けて、「人は追い込まれることで成長する」と信じ込んでいた。
「きっと風船がぎりぎりまで膨らんで、破裂したんだと思う」
日本ラグビー選手会はいま、「よわいはつよいプロジェクト」という選手のメンタルヘルス(心の健康)を考える活動に力を入れている。
国立精神・神経医療研究センターなどと選手会が2019年12月~20年1月に実施した共同研究では、調査に参加した251選手のうち、32・3%が過去1カ月間に心理的ストレスを、4・8%がうつや不安障害の疑いを、5・2%が重度のうつや不安障害の疑いに相当する状態を経験していた。日本の一般成人より10ポイント以上高い40%超が、メンタルヘルスの不調や障害を感じていた。
屈強な肉体を持ち、激しくぶつかり合うラグビー選手は精神的な強さ、タフさを持っていると誤解されがちだ。同プロジェクトの研究代表者である小塩靖崇さんは「(選手の心の弱さは)今までタブー視されて、見ることを避けられてきた。選手が勇気を出し、きちんと現実を向き合うことが大切になる」と語る。
実際、このプロジェクトが始まってから、パナソニックのHO堀江翔太が、サンウルブズや日本代表での苦しかった過去を告白し、多くの共感を集めた。
時代は変わってきた。自分の経験が何か後輩たちの役に立つのなら、と元木さんも取材に応じてくれた。
「日本を代表する立場になると、プレッシャーは当然のようにかかる。そこから逃げることはできない。そのプレッシャーも受け止めて、最高の自分を出せるようにしなければいけない。だけど、そのためにはリラックスする時間が大事。僕の場合は妻のサポートが大きかった。それに、仲間や会社も」
苦しい経験を無駄にはしたくはない。指導者になってからは、一人ひとりの選手の変化を見逃さないようになった。身近にメンタルヘルスについて相談できる第三者の存在があれば心強いとも思う。
「一つ言えるのは、がまんし続けるな、ということです」
自らを自らで追い込み続けてきた求道者の言葉は、重かった。