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【ラグリパWest】教員は天職。 大峯功三[福岡県立北筑高校]

2021.03.03

早大の主将をつとめた大峯功三さん(2列目右端)が監督として率いる北筑高校ラグビー部。大峯さんは赴任1年目の保健・体育教員でもある。


 大峯功三は今、コーチングの醍醐味に浸っている。

 早稲田の主将、コーチ時代は日本一を目指した。ラグビー部は大学選手権を制すること最多16回。ライバル・明治を3上回る。当時は手の位置、つま先の向きまでこだわった。

 現在のスタート地点は決まっている。
「ボールは前に投げてはいけないよ」
 28歳の元LOは昨春、北九州にある北筑に赴任した。保健・体育の正教員一年生は、監督として高校の初心者と向き合っている。

 勝利至上から抜ける。できなかったことができる成長に喜びを見いだす。
「すごく幸せです。彼らとラグビーができて。早稲田にいたら巡り合っていません」

 北筑の選手は17人(新3年=10、新2年=7)。そのうち経験者は5人のみ。
 近くには、中鶴や帆柱などラグビースクールはあるが、中学生は強豪校に流れる。県の新人戦(兼九州大会予選)、香椎を24−5で破ったが、修猷館に5−78と大敗した。

 この大会直前の12月、ケガ人が出る。大峯は15人を集めるため、植木悠聖に声をかける。副担任をする1年生のクラスにいた。昨年9月までは野球部だった。

 162センチの植木はWTBで出場する。
「ラグビーは楽しいです。全員とつながっていることを実感できます。ボールが出なければ、2人、3人と助けに行きます」
 チームは植木のおかげで棄権せずにすんだ。

 植木のジャージーやヘッドギアは大峯をはじめみんなで用意した。
「先生は優しいです。WTBは端っこにいて、つないできたボールを取りなさい、そして突っ走れ、とシンプルに教えてくれました」

 大峯には感謝がある。
「よく入部してきてくれました。コンタクトへの怖さは当然ありますが、楽しさに気づいてもらえるように教えていきたいです」
 当面の危機を救った植木はラグビーの継続を悩む。その指導力が試される。

 時折、自問自答する。
 ラグビーの魅力を伝えられているか—。
「多様性と自己犠牲だと思っています」
 さまざまな境涯の子がお互いを認める。そして利他の心を持つ。それらを教え切れれば、実社会に出て困ることはない。

 大峯はラグビーで結ばれた昔の仲間の消息を母校に限らず気にかける。
 古瀬鈴之佑(こせ・すずのすけ)。中鶴の中学時代、県選抜でチームメイトになった。警察官になり、2年前、襲撃の速報を受けた時には布巻峻介に知らせた。大峯にとって、この選抜でも早稲田でも同期になる布巻は、日本代表の合宿で宮崎にいた。すぐにメンバーと動画を作り、回復へのエールを送っている。



 大峯は小6から中鶴で競技を始め、中学終わりまで在籍した。高校は東筑に進む。福岡の名門県立5校(修猷館、福岡、筑紫丘、小倉)のひとつである。この5校で九州大の総長の椅子を回すと言われた。

 3年間、花園には進めなかったが、教員兼監督の畑井雅明に感化される。
「先生にはラグビーを通じて、男とはどういうものかを教えてもらいました」
 じゃんけんひとつに負けても悔しがれ、と教わった。勝負への意気込みを伝えられる。

 畑井は早稲田ラグビーのOBだ。1997年卒のCTB。福岡高の出身である。大峯の赤黒への進学はその影響もある。
 県内にOB教員は3人いる。畑井の2年前に卒業した西納清史(にしのう・せいじ)は香椎工の監督。城南高出身のPRである。

 大峯は4年時に主将をつとめる。副将は布巻と小倉順平。日本代表キャップを7と4を持つ。布巻はパナソニックのFL。小倉はキヤノンのSOである。

 その年の第51回大学選手権(2014年度)は予選プールで東海に10−14で破れる。ただ、この年は6連覇する帝京以外の力は均衡。その東海に筑波は準決勝で1点差勝ちするが、決勝は7−50と大敗している。

 その後、4年間コーチをする。相良南海夫の監督初年、選手権4強が最後になる。
「そろそろ引き際かな、と思いました」
 母校で1年間、講師をつとめた。昨年4月に正教員として北筑に赴任する。

 学校は1学年6クラス程度の中規模校。全日制普通科で男女共学。くくりは進学校だ。創立は1978年(昭和53)。創部年も近い。
「2期生の時にクラブはあったと聞いています。入学した時に作ったのか、3年の時にできたのかは分かりませんが…」
 40年ほど経るが、花園出場はない。

 グラウンドは土。それでも100×55メートルの広さを使える。横は正規より15メートルほど短いだけだ。
「むちゃくちゃありがたいですね」
 野球やサッカーは南側のグラウンドを使う。野球部は昨秋、県4位になり、この春の選抜の21世紀枠候補に選ばれた。

 校長の青木圭子は大峯の高1時の担任だった。赤点続きで「学校をやめる」と投げやりになった時、励ましてくれた。
「ここに引っ張って下さったと思っています」
 朝7時前には登校。体育教官室の掃除をして、職員室に詰める。
「誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰る」
 恩義は行動で返すのが流儀だ。

 北筑のJR最寄り駅は黒崎。明治時代に国営として操業された八幡製鉄所(現・日本製鉄)のおひざ元だった。チームは半世紀以上前、全国社会人大会(トップリーグの前身)で12回、日本選手権(前身のNHK杯を含む)で3回の優勝を誇った。街は井筒屋が店を構えるほど栄えた。しかし、多くの製鉄マンは君津へ去り、百貨店はなくなった。

 大峯のラグビーを通じた教育は、結果的にこの地に活気を取り戻す一助にもなる。