ラグビーリパブリック

「五輪後も選んでもらえる限りやる」。野口宜裕、セブンズ愛を語る。

2021.02.12

キレ味鋭いプレーが持ち味。(撮影/松本かおり)



 この競技への愛にあふれる。
 男子セブンズ日本代表候補、第3次オリンピックスコッドに名を連ねる野口宜裕(よしひろ/セコム)は、7人制ラグビーが大好きだ。
 自分の可能性を引き出してくれた。夢を叶えてくれた。オリンピックという大舞台を目指せているのも、セブンズのお陰と感謝している。

 現在、大分で合宿している同スコッド。2月11日にオンライン取材に応じた野口が、あらためてセブンズ愛を語った。
「好きなことで、大きな舞台に向かわせてもらっている幸せを感じています」
 オリンピックが終わっても、セブンズ代表に呼んでもらえる限り力を尽くす希望を持つ。

 セブンズとの出会いは高校3年時。大会でプレーした時、もともと得意だったステップで相手を抜き去る快感に目覚めた。
 東京出身も、大阪にある早稲田摂陵高校に進学し、そこでラグビーと出会う。同校の藤森啓介先生の指導を受け、赤黒ジャージーに憧れた。
 早大進学を志望するも叶わず、2浪して専大に進学。ラグビーを続けるか迷ったが、過去にセブンズ日本代表の指揮を執っていた村田亙監督の存在に惹かれ、「もしかしたらセブンズ代表になれるかも、と勝手に思い込んで」入部を決意した。

 あきらめないでよかった。
 80キロあった体重は、浪人中に57キロとなってガリガリになるなど、「ラグビー選手とは言えない体」になっていた。その結果、2年生になるまでケガばかりの日々が続くも、やがて状況は改善された。
 3年生になって風向きが変わる。村田監督の推薦もあり、関東大学リーグ戦セブンズでの活躍が代表首脳陣の目に止まったのだ。

 練習生として代表合宿に参加するようになった野口は、大学に戻って村田監督に感想を問われると、「すごく充実していた」と答え、やがて膨れ上がった気持ちを吐露する。
「桜のジャージーを着られる可能性があるなら(セブンズを)優先させてほしい、と伝えました」
 同監督は背中を押してくれた。

 それ以降、専大で仲間たちと練習することはあってもセブンズ活動を優先した。15人制の試合に出たのは、練習試合3試合と公式戦1試合だけだ。
 4年時の関東大学リーグ戦、中大との試合を最後に、セブンズのスペシャリストとしての道を歩み続けている(2019年に入社のセコムでも、15人制は一度だけ対外チームと実戦的練習をおこなったのみ)。

 大学3年時(2017年)の秋、アジア・セブンズシリーズで初めて日本代表に選出された野口は、2018年4月のシンガポール大会でワールドシリーズでのデビューを果たす。
 それ以来着実に実力を蓄え、常に代表スコッドに名を連ねる。SH、スイーパーとしてライバルたちと競い合ってきた。
 現在は約5か月後に控える五輪に向け、個人とチームを研ぎ澄ませている最中だ。

 大事なときにトライを取り切る決定力。そして、疲労が蓄積した中でも能力を出せる力。自分の成長した点をそう感じる。
 その一方で、ワールドクラスと比べればもっとスピードを高めなければいけないし、フィジカリティも足りないと自覚する。
 強みを伸ばす時間も、足りないところを改善する時間も、たっぷりあるわけではない。自身の現在地を見つめ、進化のために力を注ぐ毎日を過ごす。

 理想の選手像は、セブンズ南アフリカ代表としての実績もあるロスコ・スペックマンだ。
「自分で(トライを)取り切る能力はケタ違いで、周囲も活かせる選手です」
 自ら勝負する強気と、その判断を続けるか、周りを活かすプレーに切り替えるのか、瞬間的にベストなプレーを選択できる選手を目指す。

 桜のジャージーを着る夢は果たした26歳は、自分の歩む道を知った人が、何かを感じてくれたら嬉しいと話す。
「自分が高校生の頃にテレビで見ていた選手や、すごく有名な年下の選手たちと一緒にプレーしています。僕のようになんの経歴もない選手でもセブンズ代表になれた。子どもたちに夢を与えられたら幸せです」
 五輪の舞台に立てたなら、その思いは広く世の中に届く。

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