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【ラグリパWest】最終学年、もう一度『荒ぶる』を。河瀬諒介[早大FB]

2021.02.10

大阪に里帰りし、実家を感じるミスタードーナツとマクドナルドの間でニッコリ。早大のエースFBはこの春、最終学年の4年生になる



 ラグビーという勝負に生きながら、諒介は人に譲れる若者だ。姓は河瀬である。

 2つ前の大学選手権。水色のヤッケを着た早稲田はアップに出る。グラウンドへ通じる狭いドアを次々と走り抜ける。諒介は逆行を認める。「どうぞ」と道を開く。

「待ってもらうのには時間がかかります」
 決戦直前。仲間たちの目は吊り上がる。当然。その中で2年生FBは周囲を見る余裕があった。そして、他者への配慮に造作がない。

 この56回大会、早稲田は優勝する。11大会ぶり16回目と最多を更新。決勝で明治に45−35。諒介は全3試合に先発する。

 その歓喜までの歩みで、土井崇司から湯浅大智につながる教育が道を譲る形で出る。
「高校時代に目配り、気配り、思いやりを言われました。まだまだできていませんが…」
 出身は東海大仰星。高3の97回大会は頂点に立つ。決勝は大阪桐蔭を27—20とする。

 諒介は高校と大学で日本一を経験した。この春、最後の学生生活を迎える。
「早いですね。気づいたらもう4年生です」
 束の間のオフ。20日ほどを実家で過ごした。大阪の下町にある。

「マクドとミスドを見たら帰ってきたなあ、って思います」
 最寄り駅、JR桃谷の風景。西には道を挟みハンバーガーとドーナツがある。
「マクドの方がお腹いっぱいなるから好きです。最近はあまり食べられないですけれど」
 アスリートの食生活は縛りがきつい。

「家はいいですね。自分の部屋より、リビングのソファーの上が一番落ち着きます」
 寝転んでテレビなんかを見る。ごはんは母・磨利子の手料理。好物は親子丼である。
「一番美味しいと思います」
 至福のひと時である。

 くつろいだ時を過ごし、2月6日、東京に戻る。翌7日、グラウンドと寮のある上井草で卒部式があった。
 その席で監督交代の発表がある。相良南海夫から大田尾竜彦。51歳からひと回り下にバトンは渡される。大田尾はヤマハ発動機のコーチングコーディネーターだった。

「相良さんは選手たちの意見を聞いてくれて、チームの回りがよかったです」
 入学から3年を見てもらった。1年から諒介をレギュラーに抜擢したのは相良である。

 2018年、早明戦前のロッカーだった。
「諒介の早明戦にしろ」
 相良は檄を飛ばす。
「なったんじゃあないですか。トライもできましたし」
 白い歯がこぼれる。



 開始6分、最初にインゴールに飛び込む。試合は31−27。前に新人で早明戦の15番を託されたのはキックポーズでおなじみの五郎丸歩(現ヤマハ発動機)。以来14年ぶり。諒介は日本代表キャップ57を誇る先輩に並ぶ。

 諒介は五郎丸に負けず華もある。
 183センチの背丈、マスクは俳優ばりに甘い。ただ、本人にその自覚はない。
「僕より格好いい人はいっぱいいます。例えば? 児玉とか」
 明治の同期である児玉樹の名前を出した。諒介より9センチ高いCTBである。

 そのプレーは速さで左右を抜く。スタイルは違うが、豪快さは遺伝する。父・泰治は「怪物」と呼ばれたNO8だった。片手でボールを鷲づかみ、ハンドオフで跳ね飛ばす。日本代表キャップは10を持つ。

「諒介はまだまだ伸びますよ。負けたロッカーで泣いていました」
 相良は昨年12月6日の早明戦を振り返った。14−34と敗れる。
「勝ちたかった。でも、何もできませんでした。自分自身が不甲斐なくて…」
 2年前の笑いは涙に変わる。悔しさは進化に不可欠。そのことを相良は知っている。

 1月11日、57回目の大学選手権決勝は天理に28−55で敗れた。
「プレッシャーがきつかったです」
 良化への動機づけがさらに加わる。1年からの選手権は4強、優勝、準優勝になった。

 早稲田は『荒ぶる』を有する。この第二部歌は原則、日本一になった時にのみ歌える。
「歌いたいです」
 厳密に言えば、この歌は優勝を果たした代、その4年生だけのものである。3年生以下は卒業後の結婚式や同期会で歌えない。

 だからこそ、諒介は勝ちたい。
「チームに勢いをつけたり、救える選手になりたい。そのため、フィジカルの部分を鍛えていきます。当たり負けをしないように」
 腰など、これまで痛めた部位は癒えた。目標は松島幸太朗(現ASMクレルモン)。タックルされても倒れない。

 トップリーグからの求人は殺到する。東芝府中(現・東芝)で本格的な現役を終えた父の願いはただひとつ。
「プロではなく、社員として働いてほしい」
 摂南大の総監督として、還暦越えの先達として、人生を渡り切る難しさを知る。

 父は明治出身でもあった。進路は諒介の意志。永遠のライバルには感謝がある。
「よく育てていただいた。あれだけの選手になってくれたんやから」
 諒介は昨年、日本代表の下に位置するジュニアジャパンに選ばれている。

 諒介の就職への判断基準は明確だ。
「日本代表になりたいです。自分を成長させてくれるところを考えています」
 もうひと伸びを納得したチームで得たい。

 その位置に届くためにも、荒ぶるの熱唱は不可欠。諒介にとって最後の挑戦が始まる。