丸ごとだめを出されているようだ。
「密だし、人と接触しますし、むしろそこが競技の魅力だと胸を張っていたところがあるので…」
◆やや暗いフィールド。11月14日、セナリオHでの第2試合は16時開始の対応に迫られた(流経大vs日大)
画面の向こうからややかすれた声が響いたのは9月20日。大学ラグビーのシーズンが始まる約2週間前のことだ。
「余計なものがなくなった時、スポーツやラグビーは残るのかと不安になった時期もあります。本当にスポーツって、なくていいのか。なきゃ困るだろう。よりよく生きるにはスポーツは必要だ。ただ、そのスポーツをするために色んな方法を考えなきゃいけないのだと感じました。選手にも、『いままでの常識は常識じゃない』と伝えました。新たに問題を考える契機になった」
話すのは木村季由。東海大の監督である。チームは長い活動停止を経て、7月以降から少人数でのトレーニングを再開したばかりだった。初の大学選手権制覇に向け、苦しい船出を強いられていた。
加盟する関東大学リーグ戦1部の5連覇を決めたのは、12月5日である。
当のチームは、芝に、いなかった。
戦前に26人の「陽性」が伝えられ、7戦全勝のかかった最終戦を辞退していた。会場の東京の秩父宮ラグビー場ではその日、予定された2試合のうち1試合のみがおこなわれた。
ここでは流経大が、大東大の玉砕覚悟のタックルにミスを誘われつつ19―10と辛勝した。リーグ戦の成績は2位となった。さかのぼって11月21日、同じ会場で東海大と打ち合った末に38―55と惜敗していたのが響いた。
何より、そのタイミングで東海大戦があったことで、その試合に出た選手はPCR検査を受けた。内山達二監督は、大東大戦後のオンライン会見で「(結果が出るまで)苦しい、2日間、3日間でした」と漏らした。
「ライバルたちは、本当に、つらい、思いをしているだろうな」
リスタートできた東海大は12月19日、大阪は花園ラグビー場での大学選手権準々決勝に臨む。開幕前の練習試合で7―84と敗れた帝京大に、8―14と粘って終戦した。
準々決勝は同日、秩父宮でも2試合、開かれる。(リーグ戦で)東海大と試合をするはずだったリーグ戦3位の日大が、一昨季王者の明大に衝突し続ける。
東海大や流経大といった多くのライバル校と同じく、平時の行動範囲を制限してきた。「スポーツ日大稲城アスレティックビレッジ」内の合宿所では、常にマスクを着けた。寮の食事で腹が満たされなければ、「Uber Eats」や「出前館」のアプリを開いた。
主将の藤村琉士は「チーム的にも世間的にも大変だったなかでキャプテンをやって。成長する機会を与えてくれた感じです」。元部員やコーチの問題が次々と報じられもした季節を経て、正直に、前向きに、冬の一戦を迎えていた。
「自分らのやっているラグビーをやることによって応援してくれる人もいるんだから、その人らのためにも頑張ろうと。持ってる技術、持ってる力は(明大にも)負けてないと思うので、名前負けはしない。向こうにいっぱいいる有名選手がいないなかでも、試合になってみたら意外とイケるやん、となると思う。その感じを最初から出したら、もしかしたら、ある」
果たして、前半に得点機を逸しながらも後半3分のトライなどで一時7―12と粘る。7―34でノーサイドを迎え、こう締めた。
「自信を持って、やっていたと思います。(相手の攻撃に)何フェーズも重ねられても、皆、しっかり前に出てやってくれたので」
ここで先に駒を進めた明大もまた、近隣の八幡山区域でさながら「ロックダウン」の体制を敷いてきた。
2年生の大賀宗志は「外出したい気持ちもあるんですが、4年生がルールを守っているのだから」と先輩方を尊敬する。2018年度に22年ぶり13回目の日本一に輝いた明大は、カレッジスポーツにおける4年生の影響力を重んじる。
熱が高まったのは11月1日。参戦先の関東大学対抗戦Aで慶大に12―13と敗れたためだ。エリアごとのプレー選択を見直しただけでなく、競技力以外の側面からも反省点を抽出した。
スタッフがトレーナールームのかすかな乱れを「これが日本一を目指すチームのそれだろうか」との旨で指摘し、主将の箸本龍雅は「それを自分で気付けなかった」と恥じた。以降、4年生だけで練習後の道具を片づけるようになった。
わずかな、しかし確かな変化について、田中澄憲監督は「本格的なキャンペーンが始まった」。どこか、悠然と構えていた。
もしや、「トレーナールーム」の件をもっと前に気づいていながらあえて放置していたのか…。
「もちろん。どこで(伝えたら)響くかっていうのは、あるじゃないですか」
場所は八幡山のグラウンド。2017年にヘッドコーチとして入閣してグラウンド内外の規律を正した元代表選手は、落ちかけた陽を向こうに滔々と述べるのだった。
「ただ、(敗戦を受けて気づかせたのは)策略でも何でもなくて、いまやらなきゃ…というところです。学生って、たぶんこの(凡事徹底を再確認する)繰り返しだと思うんです。学生スポーツらしくて、いいんじゃないですか」
12月6日の秩父宮で早大との対抗戦最終節を34―14と制し、日大戦から14日後の秩父宮(準決勝)で、2020年度の、ピリオドを打った。8月中旬には部内でクラスター発生の天理大に、15―41と圧倒された。
2年連続で日本一を逃したのは名門にとって屈辱だろう。それでも例の「キャンペーン」が最後まで続いたことは、誇れるのではないか。
あの日の田中は、こうも言っていた。
「コロナのなかで、がんじがらめになっているわけじゃないですか。そこで僕も、言い過ぎ、やらせ過ぎは可哀そうかな思っていたんです。だけど、(トレーナールームの件を受けて)甘かった。僕も、学生たちも、気づきながら、経験しながら、成長していくんです」
厳しい現実に直面した時、人はその出来事を前向きに捉えようとする。その方が建設的だからだ。
その延長で、アスリートは難局を乗り越えて結果を残せば「あれがあってよかった」と述懐する。今季の大学ラグビーシーンに挑んだ学生、指導者が「この状況で試合ができることに感謝します」と公式に発したのも、自然な流れである。いずれも本心だろう。
ただし、この点も見落とせまい。
いくらウイルス禍と逞しく向き合う若者の声が聞こえてきたとしても、すべての若者がウイルス禍を本当の本当に「あれがあってよかった」と考えているとは限らない。
エネルギーの有り余る20歳前後の青年がつかの間のオフに地元へ戻るのも憚られ、試合後に飲みに行けば戦犯扱いされかねなかったのだ。これを「好きなことをやっているのなら多少は我慢すべき」と断言できる聖人君子は、そう滅多にいないはずだ。そもそも万人の生命を狂わせうる新型コロナウイルスなど、あってよかったわけがない。
2020年度シーズンのすべてのラグビーマンは、踏ん張ることの難しさと尊さをその人だけの皮膚感覚で掴み取った。その姿が綺麗なのだとしたら、各々の背景が「綺麗ごと」だけではなかったからだ。