最善を尽くしても報われない日はある。相手の力が上回っていた時だ。
早大ラグビー部3年の河瀬諒介は、『BATTLE(バトル)』というチームスローガンを引き合いに出して言った。
「僕たちも勝ちたい思いは強く、きょうの試合もバトルできたんですけど、それ以上にバトルされた」
1月11日、東京は国立競技場。大学選手権の決勝で最後尾のFBとしてプレーした。
天理大に28-55と敗れた。
身長183センチ、体重88キロのランナーは序盤から得意のカウンターアタックを繰り出すも、向こうのチェイスラインに封じられた。事前に「ミドルエリア(グラウンド中央の防御)が厚い」と分析していたためタッチライン際へ走ったが、むしろその進路を塞がれた。異なる矢を放つのに時間がかかった。
後半12分には敵陣ゴール前右でパスをもらってフィニッシュを決めたが、直後のゴールキック成功を受けてのスコアは14-36とされている。前半から劣勢だった。
ノーサイドの後は目のあたりに手を当て、表彰式でも神妙な顔つきだった。
「負けてしまったというので頭が真っ白になって…。軽いパニックになりました」
早大は昨季、11シーズンぶり16度目の王座に返り咲いた。ただし今季に際し、齋藤直人前主将ら1年時からレギュラーだった主力の多くを卒業させた。
栄光をつかむや、厳しい現実を突きつけられた。さらに春には、社会情勢の変化を受け一時解散を余儀なくされた。後に相良南海夫監督が「難しい1年だった」と認める状況下、河瀬は「一人ひとり自分の役割を徹底するのが大事」。個々の意識を上げることで、底上げを図った。
「それまでは、4年間(試合に)出ていた人に引っ張ってもらっていた。いなくなった分を誰がカバーするかとなったら、ひとりでは埋められない部分が多かった。だから、全員がコミュニケーションの量、ディテールにこだわるところでカバーできないかと」
練習も工夫した。権丈太郎コーチいわく「ボールゲームひとつにしても途中からルールを追加したり、ずっとOKだったルールを突然NGにしたり」。平時の取り組みで、不測の事態への対応力を磨いた。河瀬の言うところの、「一人ひとり」の資質を高めようとした。
エースは心とも向き合った。
自粛期間中から腰の違和感に悩まされ、7月上旬にメスを入れる。
陽射しの強い時期は、本拠地の上井草グラウンドの周りを走る。走る。カムバックに向け、単調かもしれぬ日々を送る。仲間は目の前でハードワークしていたとあり、「正直、焦りました」。あえて「ラグビーを考えない時間」を普段より多く作ることで、リフレッシュを図った。
当時、観た映画のひとつは『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』。
仲良しの男たちが二日酔いに伴うトラブルで右往左往する、コメディ作品だった。
河瀬が公式戦に戻ったのは11月1日。加盟する関東大学対抗戦Aの第4週目で、帝京大に45-29で勝った。
この午後はリザーブ出場で不完全燃焼も、続く7日、その日と同じ東京・秩父宮ラグビー場での筑波大戦に司令塔のSOで先発する。50-22と白星を得るまでの間、自陣深い位置からの思い切った攻めを披露できた。チームにとっては、有事のオプションを試せたと言える。
12月6日。秩父宮で明大に14-34と、今季初黒星を喫した。翌日以降、河瀬が意識したのは「凡事徹底」だ。
練習中に声の掛け合い、基本プレーの細部に神経を張り巡らせるのはもちろん、グラウンド外でも「当たり前」を見直した。チームで定められた健康管理ツールの入力を改めて徹底。ルールの順守が疎かになりがちな部員がいたら、周りが注意した。隙をなくした。
「明大戦で負けてからは(つけ忘れは)ほぼゼロに近い」
河瀬がこう胸を張ったのは、大学選手権決勝の5日前だった。さかのぼって1月2日には、秩父宮での準決勝で2トライを奪い帝京大を33-27で制している。
コンディションは「だいぶ良くなってきた」。いわば、その時々で打つべきと感じた手を打ったと実感して、かつ、ファイナルの舞台では新王者にのまれたと言える。
必ずしも努力が報われるわけではないと体感してなお、来季は結果を出すために献身すると河瀬は言う。天理大戦後の取材エリアで、「悔しさ」という単語を重ねた。
「この悔しさを糧にして、3年生以下出ていたメンバーがどれだけ目の色を変えてできるか。この悔しさを皆に伝えていきたいです」
2021年度は笑顔で締めたい。