紀ノ川は東から和歌山を貫いている。
有吉佐和子は同名の小説で、「うっついのう」と表現した。美しいの方言。この大河に明治、大正、昭和の3時代を生きた素封家を擬した。
紀州人にとって母なる流れを北に上がれば那賀高校はある。読みは「なが」と濁る。
吉田大樹はこの県立校にいる。保健・体育教員は日本代表のFBでもあった。
愛称「ヒロキ」はラグビー部の監督でもある。
「生徒ひとり一人能力が違います。その生徒に合ったアプローチや言葉の選び方、教え方を考えていかねばなりません」
主将はNO8の平山顕示。新3年は不惑になる指導者に大いなる尊敬を向ける。
「ものすごくいい先生です。経験が違います。例えばイシレリのことや少しのケガならポジションをとられないように練習に出ていた話が聞けます。僕たちは恵まれています」
中島イシレリは日本代表になるため、LOからPRに位置を変えた。自身が少々のことなら休まなかったことも含め、楕円球にかける執念を高校生たちに伝える。
昨年の花園県予選は初戦で和歌山北に12−43で敗れた。100回記念大会である。
その時の部員は平山を含め13人。校内から助っ人の申し出があった。
2人は運動部員。野球は「体が強いから」とLOに、ハンドボールはWTBに入ってもらった。吉田は振り返る。
「ありがたかったですね。出れるんやったら、単独で出たいと思っています」
主とするのは、日の丸を背負った時の戦術や戦略の伝達ではない。部員集めである。
和歌山は野球県だ。
古くは桐蔭や箕島(みのしま)、今は智辯和歌山が全国制覇を成し遂げている。ラグビーは全国2回戦止まり。2019年のワールドカップが劇的に現状を変わるわけではない。
学校は白球が盛んな岩出にある。和歌山駅からJRに乗り、東へ20分ほどで着く。
その創部は1971年(昭和46)。半世紀を迎える。花園出場はない。吉田はそのチームを保ち、強化を図る。
和歌山と吉田は重なる縁がある。
夫人の実家はこの温暖の地だった。居を移したのは6年前、2015年である。
それまで、スピードや長いキックで7人制と15人制の両方で日本代表をつとめた。キャップは7を持つ。
同年、この地では国体があった。県選抜の選手をしながら、一般企業で働いた。
翌年、教員になる。県南の熊野で過ごす。現監督の瀬越正敬は46歳。謝意がある。
「僕がいない間、チームを見てくれました」
瀬越は和歌山工に転勤中だった。その留守を預かった。
吉田の父・克吉(旧姓=富澤)は日体大出身。入学時、寮の部屋長をつとめたのは最上級生の清水晃行だった。瀬越の恩師である。
「縁だなあ、と思います」
瀬越はしみじみと話す。
清水は2005年12月、がんで逝去する。51歳だった。その後、コーチだった瀬越がチームを受け継ぎ、花園出場を13回に伸ばす。和歌山工の25回に次ぎ、県内では2位になる。
吉田は2018年に那賀に転任した。この4月で4年目に入る。
元々、教員志望だった。
「両親も兄も教員でした。人と関われるやりがいある仕事だと思っていました」
父のみならず、母・彰子も兄・一樹も教育現場にいた。吉田は東芝の社会人時代、教員免許を通信などで取る。
サラリーマンになったのは理由がある。
「社会に出て、流れを知りたいと思いました」
東芝に籍を置いたのは2004年から2015年まで12年間。トップリーグ優勝は最多5回を誇る強豪を支えた。
ラグビーを始めたのは群馬の東農大二。中学まではサッカーだった。
3年時の79回全国大会(1999年度)では、3回戦で初優勝する東海大仰星に20−27で敗れた。監督の伊藤薫の思い出がある。
「アメ玉ひとつでも70人いるなら、70等分する気持ちを持ちなさい、と言われました。仲間への思いやりを学びました」
大学は同志社。4年時は40回目の大学選手権(2003年度)にあたる。準決勝で早稲田に33−38。準優勝チームを上回れなかった。
指導の象徴は岡仁詩だった。
「学生の判断ミスを肯定的にとらえてくれました。すべてにおいて前向きでした」
接点があった者の教えは、吉田の中に生き続けている。
1月16日、新人戦(近畿大会県予選)は0−90と大敗した。
相手は和歌山工。那賀は部員6人のため、星林と新翔とで合同チームを組んだ。新翔は和歌山市内から車で3時間の新宮に学校がある。合同練習は1回しかできなかった。
吉田はセーフティー・アシスタントの赤いビブスをつけて試合に参加した。
「出し切ったか。ケガはないか」
ノーサイドの後、声をかけていた。
平山は敗戦にもめげることはない。
「これまで僕はチームスポーツやって来ませんでした。だから、みんなで勝つラグビーがすごく楽しいんです。春には15人を集めて、秋には県予選でベスト4に入りたいです」
吉田の指導のよさが透ける。
「高校生がラグビーを通して、人間的な成長をする。そのことに貢献できたら」
目を向けるのは、勝負のその先である。