監督になった橋脇正典は声を荒げた。
「どうしてもっと自信を持ってプレーしないんや!」
指揮を執る和歌山工は90−0と圧勝する。
1月16日、新人戦(近畿大会県予選)の初戦だった。
合同チームに前半で43−0。なのに、OB監督に残ったのはもどかしさだった。
「新チームになって練習をさぼったことがあるんか? ずっとまじめに来てたやろ」
部員はサイズがあるのに、消極的なプレーに終始。ハーフで交替させた。
その訓育は熱い。
橋脇は日本協会で最上のA級レフリーでもあるが、常の冷静さはない。6月25日には不惑になる。新年を境に8学年下で現部長の岡本尚也と立場を入れ替えていた。
高校時代は連続して花園の土を踏む。
高3時にはWTBとして79回大会(1999年度)に出場した。初戦で法政二に0−74の記録が残る。
卒業後は大体大に進む。
「指導者になりたかったのです」
同ポジションの1年上には久住辰也がいた。トヨタ自動車で日本代表キャップ3。選び抜かれるアスリートが間近にいた。
保健・体育教員になり、県南の田辺では11年を過ごす。「ワコー」に戻って、この4月から3年目。岡本は話す。
「7キロのアップダウンのあるコースを走る時、橋脇先生は生徒より早いんです」
部員たちに畏敬の念を抱かせる。
橋脇が目指すのは監督とレフリーの両立だ。
「チャレンジしたいんです」
日本協会のレフリー部門長である原田隆司には言われた。
「難しいで」
それでも、ひるまない。
「大学同期の東、大向はチャレンジしています。それがエネルギーになります」
東(ひがし)順一は大阪の公立中の教頭。大向将也(まさや)は石見智翠館から帝京と高校から大学に指導の場を変えている。
この県立実業校の創部は1947年(昭和22)。学校創立の33年後である。
花園出場は県首位の24回。熊野の13回を引き離す。県勢の出場回数が少ないのは、紀和代表として主に天理と決定戦をしなければならなかったためである。常設枠は65回大会(1985年度)にできる。
全国大会では2回戦進出が最高。4回あるうち、近々では95回だ。魚津工を30−5で降し、優勝する東海大仰星に0−93と大敗した。
主な現役のOBはHondaのFLである 服部航介。父・公彦もOBであり、コーチとして橋脇を補佐している。
深紅のジャージーをつないできたのはOBの山下弘晃である。豊橋技術科学大に進み、産業デザインを教えている。今年58歳。WTBだった高校時代を含めると30年近くチームに関わってきた。橋脇も岡本も教え子である。
「最近は鍋ジジイになっていますね」
部員たちの練習後の食事を担う。合同チームとの試合前日にはイノシシ肉の入ったぼたん鍋とうなぎ丼を作った。
1時間程度の朝練習の後にもパンが出る。OB坂田輝之がオーナー兼職人をつとめる「パン工房 アンファン」から届く。坂田は69回大会にSOとして出場した。
間に入っているのは山下である。朝夕の補食はすべて寄付で賄われている。
OBが顔を出しやすい環境もこのチームの特長だ。山下は優しく迎える。
「ウチは最終学歴がワコーの子が多い。帰る家を作っていければいいな、と思っています」
試合前日は、金曜日に関わらず地元で働く者を中心に4人が練習に参加した。現在の部員は25人(新3年=10、新2年=15)。実戦により近づいた練習が可能になる。
遠征用の44人乗りの大型バスを支援学校から譲り受け、運転するのも山下。FacebookやInstagramなどを使い、情報発信もする。
マネジメントを一手に引き受ける。
新主将は栗田優星。170センチ、81キロのHOはチームの目標を口にする。
「花園で3回戦に進出することです」
橋脇は新主将が中心になる戦い方を定める。
「FWを軸にエリア取りをしたいですね」
県勢としても未知の領域に到達したい。
今、和歌山は三つ巴の状態だ。
100回大会は熊野、その前は近大和歌山が出場権を得た。前者は高校日本代表のコーチ経験がある瀬越正敬、後者は天理大出身の田中大仁が率いる。ワコーは2年間の決勝で0−27、7−26とそれぞれ敗れている。
新チームは3年ぶりの復活がかかっている。
栗田はもうひとつの目標を挙げた。
「社会に役立つ人間になることです。僕も就職するつもりですから」
岡本が補足する。
「山下先生はいつも、それが強くなる早道だ、と言っています」
栗田は自転車で2時間以上かけて登下校している。その努力を形にしたい。
山下は言う。
「これから勝ってくれるでしょう」
土台は整えた。橋脇がレフリーでも得る最先端のラグビーを落とし込む。岡本、女性顧問で理科を教える土谷浩美もいる。
1月23日の準決勝も和歌山北を66−14で降した。強豪に変わるあしおとが響く。