優勝の立役者だった。
天理大ラグビー部のアシペリ・モアラは1月11日、東京は国立競技場の芝にたびたびつむじ風を起こす。大学選手権の決勝で早大を55-28と下して初の日本一に輝くまでの間、地上戦で光る。
「自分の強みを頭にイメージ。前に出るのを意識して、絶対、ディフェンスでも負けない」
身長185センチ、体重115キロの3年生はLOで先発する。キックオフ早々、同僚で4年生PRの小鍜治悠太に相手から奪った球を託される。突進する。
「そこは、練習の時から2人でコミュニケーションを取って(狙っていた)」
その約2分後には、敵陣22メートルエリアにできた相手ボールの接点(ブレイクダウン)に頭と肩をねじ込む。乗り越える。球を拾い前進。先制トライを促す。
「自分がターンオーバー(攻守逆転)して(仕留め役の)BKでトライを…と意識してきました。ブレイクダウン(で奮闘し)、ゲインライン(攻防の境界線)を破る」
接点で圧をかける動きは、角度やタイミングによって成否が変わる。担当レフリーのルール解釈によっては反則とされかねず、モアラも突っかける際には「レフリーコールを聞いて、(プレッシャーをかけて)OKか、どうか(を判断する)」と細心の注意を払っていた。
一方、ただただ豪快に映ったのは前半25分の一撃だ。
17-7と10点リードで迎えたモアラは、早大のFBである河瀬諒介が走り込んでくるのをハーフ線付近右で待ち構える。小鍜治と2人で捕まえるや、右の上腕で相手の左のももの裏を持ち上げる。押し返す。そのまま倒した地点へ、味方の援軍を招く。ターンオーバー。
さらに29-7と点差をつけていた後半6分には、敵陣ゴール前右での相手ボールスクラムを2列目からプッシュ。最後はこぼれ球を4年生SHの藤原忍がインゴールで押さえるなどし、36-7と勝利を決定づけた。
モアラは1998年生まれで、現役の大学4年生と同い年。日本航空高校石川時代から先輩、後輩の間柄である藤原との逸話を、この調子で明かすのだった。
「藤原君は(寮の自室で)部屋長なんですけど、2人で日本一になろうと話をしていて。部屋でも『日本一』の紙を貼っていました」
小松節夫監督によると、天理大が留学生を受け入れたのは2008年からだ。当時加わったアイセア・ハベア、シアオシ・ナイも日本航空石川の出身で、ナイは現在、その高校で監督を務める。
大学ラグビー界での留学生と言えば、骨格の大きさや身体能力を活かした攻撃が想起される。ただし小松監督は、自軍の海外出身者を「中で、目立つ」と見る。ここでの「中」は下働きを指す。
「(留学生選手には)もちろん、フィジカル、パワーを発揮して欲しいとは思っています。ただ、彼らが実際にチームへ入ってみると、あまり『助っ人的』ではなくて。チームの一員としてやることはやる、という感じです。うちも、あえて外国人を(コンタクト局面に)当てさせるようなサインプレーは用意していないですし」
国籍や出自を問わずそれぞれが自覚的に集団の一員と化し、集団を機能させるのに必要な職務を元気よく全うする。それが天理大のラグビーマンの姿で、モアラはその象徴と言える。
本人は笑う。
「自分は高校の時、結構、太ってて。でも、天理大でたくさん走って、結構、やせました。5キロくらい? いまは筋肉をキープして、体重を落としている。いい感じです」
最終学年にあたる2021年度も、地を這って頂点を目指す。