楽しく、悔しく、楽しかった。
2020年12月27日、東大阪市花園ラグビー場。第100回全国高校大会の初日に、新田の小倉亮太が疾走する。城東との1回戦でノーサイド直前に逆転負けも、4トライ1アシストを刻む。
50メートル走のタイムは6秒2。身長169センチ、体重65キロの2年生WTBが、初めて踏みしめた聖地の芝にインパクトを残す。大会後、SNSで国内トップリーグの選手に話題にされた。
「自分、足には少しだけ自信があって。外にスペースがあったら走ろうと思っていました」
チームにとっては2大会ぶり46度目の全国である。11月15日の県大会決勝では松山聖陵に13-21と敗れたが(愛媛県総合運動公園球技場)、今季特設のオータムブロックチャレンジでエースの小倉が持ち味を発揮。23日の同決勝では、高知の土佐塾を相手に4度フィニッシュして91-7で勝っていた。
本番でも、徳島から4大会連続14度目の出場となった城東を開始2分で驚かせる。
自陣10メートル線手前から左側のスペースを大きく駆け抜け、敵陣へ入るや右斜め中央へ曲線を描くよう進む。同学年でSOの南冠太へラストパスを送り、直後のゴールキック成功によりスコアを7-0とした。
確信があった。
「県予選決勝ではあまり走れずチームに貢献できなかったのですが、オータムブロックチャレンジで外を走ったら、僕のスピードでも県外のチームにも通用するとわかった。自分のなかで、(トライまでの)イメージは、見えていました」
7-17と10点差を追う前半20分には、敵陣22メートルエリア右でパスをもらう。大外へ膨らむ。12-17。チームのスタイルを体現する。
「外に展開する自分たちのラグビーをしたら、トライが獲れる」
続く前半25分には、ハーフ線あたりで2人の防御の間をすり抜ける。17-17。ここでは、直前までに繰り出した2つのランが活きていたという。
「相手が外を警戒しているのが見えた。いったん開いて、内に入る。一瞬、そう考えました」
青の14番はまだ駆ける。後半3分にも自身1トライ目と似た形を繰り出す。22-17と勝ち越す。
22-24と2点差を追っていた後半12分には、ペナルティキックを獲得した地点から約60メートルを突っ走る。
「自分が行けると思ったら、行こうと。後のことは考えていなかった。結果、走り切れた」
29-24。25分ハーフの一戦で白星に迫る。
しかし、好事魔多し。試合中に痛めた右足のふくらはぎが限界に達した。後半21分、途中交代。
ノーサイド。29-31。
何度も走り切って手応えをつかんだ一方、最後の最後まで走り切れずくやしさを覚えたのだった。
「外に展開すれば、少なくともゲインはできる。自信にはなりました。何本も走れないのは、自分のだめなところです。まだまだ走り込みが足りない。これからも走っていきたいす」
大阪で育った。ずっと足が速かった。
幼なじみに、島根の石見智翠館で2015年度全国4強入りの吉田泰介がいた。楕円球と縁が近かった。
その吉田からは、「小学校低学年くらい」の時点で「ラグビー、してみたら」と促されていた。後に京産大を経て丸和運輸機関へ加わる吉田は、そのスピードを買っていたのだろう。いつかの少年は言う。
「その言葉を、小学5年生くらいでふと思い出して。それまではサッカーをしていたんですけど全然、センスがなくて。リフティングもできなかった。それで何か他のスポーツがやりたいな…と思い、ラグビーを始めました」
豊中ラグビースクールではいまと同じWTBに入ったが、「試合で勝てるのは年に1回くらい? という感じで、(後列のWTBでは)あまりボールをもらえない」。中学までに前線のFWへ転じる。
笑顔で後述する。
「何でFWやったんやろう…」
フィニッシャーの資質を磨いたのは、新田へ越境入学してからだ。
スクール時代の友人の父がOBだという新田で、「足が速いんだからWTBを」と再転向する。同じ位置の上級生からステップやキックのノウハウを学び、ブレイクの下地を作った。
親元を離れた生活も「毎日が修学旅行、合宿みたいな感じ。いろんな部活の学生が暮らしていて」と楽しむ。選手としての可能性を広げた新田を巣立ってからも、このスポーツに携わりたい。
「センスがない僕でも身体を張ったらチームに貢献できる。人の役に立てる。不器用な僕でもできるのが、ラグビーのよさです」
1946年創部の伝統あるチームでは近年、2年生が役職に就く。今度の花園でも、小倉の代でSHの武智成翔が主将だった。
後輩のリーダーを支えるラストイヤー。小倉は「応援される選手になりたい」と決意する。
「ただ走るだけというのじゃなく、チームの皆から『あいつにボールを持たせたらトライが獲れる』『あいつがおったらこのチームは大丈夫や』と思ってもらえるよう頑張っていきたいです」
信頼を得るには鍛錬あるのみと、肝に銘じる。