栄枯盛衰は世の常である。
その中で昔日の強さを取り戻そうとしている公立校がある。
布施工科。
四半世紀ほど前、大阪の「フセコー」は、全国にその名をとどろかせていた。
復活の足がかりは、100回記念大会の府予選での決勝進出だ。
監督の西村康平は声を弾ませる。
「生徒たちはよくやってくれました」
全国4強入りする大阪朝高に0−78と完敗するも、府予選のファイナルに残るのは24年ぶり。76回大会は準優勝する啓光学園(現・常翔啓光)に18−22で敗れている。
布施工科は旧国名・河内と呼ばれる東大阪にある。この地に住んだ作家の司馬遼太郎は「低湿」と表現した。学校は全日制で機械、電気、建築設備と3つの専門コースがある。
西村が保健・体育教員として、摂津支援学校から赴任したのは2015年4月。同時に四代目のラグビー部監督になる。茨木高、筑波大ではCTBとして楕円球を追っていた。
赴任当時、西村は29歳。数集めに走る。
「単純に多い方が楽しいと思います。みんなでわいわいがやがやできるので。それに、このレベルを強くするにはまず規律。多ければチーム全体に影響力が出てきます」
新チームは35人。新3年は18人、新2年は17人。紅白戦もでき、競争原理もある。
西村の高校時代の同期は12人。経験者は島本ラグビースクール出身の自分のみ。残りの11人はすべて初心者だった。
「声をかけまくりました」
他校のラグビー部OBの弟がいると聞き、100人近くに本人確認をし、入部させた。
「そんなもんやと思っています」
自らが動くことを苦にしない。
三代目監督だった佐光義昭は西村を評する。
「フットワークが軽い。情報を聞いたら、すぐに中学生に声をかけに行きよる」
西村は言う。
「ウチのことを知ってもらわんといけません」
毎年6月、OB戦から派生したカーニバルを開催する。今年はコロナで中止になったが、一昨年は中学4校などを招いた。
ラグビーによる推薦入試はない。
佐光は66歳。東京教育大ではFLだった。「教育大」が筑波に変わる最後の代。現在は保健・体育の非常勤講師をしている。
この実業系の古豪は今、「ラグビー界の頭脳」と呼ばれる筑波人たちに守られている。
新チームの主将は茨木楓である。170センチ、70キロのFLだ。機械科に所属する。
「就職を考えてこの学校を選びました」
西村は中学校回りの中で、その強みを説く。前主将だったPRの相本将大はこの4月から関西電力に勤務する。
「ラグビーを通して、部員たちには生きる力をつけてあげたい。勝ちを目指す中でそういう人間力がついてくると考えています。頑張ったらええことがあるよ、と言っています」
茨木は西村に信頼を寄せる。
「先生はきちんと教えてくれます。部活以外のことも。授業中寝ない、とか。レベルが低いですけど」
2年生の学年主任でもある西村は、生活指導をその軸に据えている。
ラグビーのスタイルは昔と変わらず、FWを前面に押し出す。
「大阪のトップ校と比べるとスキル、走るスピードなんかは格段に落ちます。勝負できるところはFWしかありません」
西村と佐光以外にも、川崎哲也、小島大亮、玉川幸雄、薮田大揮の4人が顧問としてコーチングを落とし込む。
布施工科の創立は1939年(昭和14)。前身は関西初の航空工業学校だった。
その創部は1947年。翌年、土岐一郎が赴任し、初代監督となる。土岐は高体連のラグビー専門部の部長などをつとめた名士だった。今年は創部75年目を迎える。
チームは1980年の中ごろから黄金期を迎える。二代目監督の川村幸治が、母校の天理大の猛練習を落とし込んだ。
全国大会出場は3回。初となる65回大会(1985年度)は、2回戦で優勝する大東文化一に6−16で破れている。
67、69回大会はともに3回戦負け。68、70回大会の予選決勝は淀川工(現・淀川工科)に引き分ける。抽選で本大会に進めなかった。これを含むと出場は実に5回になる。
川村は高校日本代表の監督もつとめる。その後、府の教育委員会に行き、教育行政ではナンバー2になる教育監もつとめた。
チームが輩出した日本代表は2人。
ともに近鉄の川崎守央と小西謹也。キャップ7の川崎はPR。1968年、ニュージーランド代表の下に位置するジュニアオールブラックスを23−19で破った。キャップ2の小西はNO8。1980年代後半に活躍した。
そのジャージーは変わらないエンジ×グレーの太い段柄。西村は話す。
「これを見たら、昔からの公立のラグビーファンは喜びます。変える気はありません」
新チームで臨む72回目の近畿大会府予選(新人戦)の初戦は1月17日だった。因縁の淀川工科を19−5で降した。
次戦の準決勝は1週間後の24日。相手は近大附。同校のグラウンドで11時にキックオフされる。
茨木は先発した大阪朝高戦を振り返る。
「僕は目をケガして前半で退場してしまいました。でも自信がつきました」
得た感覚を揺るがぬようにしたい。この2021年を大切に過ごして行く。