ラグビーリパブリック

【コラム】ラストワンプレーの逡巡

2021.01.08

後半47分の交代。エース倉橋(左)から、チームの信頼厚き宮本へ。湯浅大智監督(右のスーツ姿)の英断(撮影:早浪章弘)

 2021年1月3日、第100回全国高校大会の準々決勝第4試合。東福岡―東海大大阪仰星は21―21のまま、後半48分まで試合が続きノーサイドの笛が鳴った。

 終了直前の45分、仰星のナンバー8倉橋歓太がマッチドクターに呼ばれた。直前のタックルのあと、立ちくらんだような倒れ方をしていた。それを懸念して一度、脳振盪のチェックを受けることになった。

◆花園準々決勝。ラスト1分で渾身のプレーをした3年・宮本悟

 映像を見ると、倉橋は笑顔でドクターと会話している。対戦相手は。現在の得点は。片足でふらつかずに立てるか。ドクターはチェック項目に対する回答から症状を確認していた。聞かれている倉橋が、自分の意識がしっかりしていることを示そうと笑顔を作って対応していたのが印象的だ。その間、湯浅大智監督はリザーブの宮本悟への交代を決める。Jスポーツで解説していた野澤武史さんが「命には代えられないですからね」と語っていた。私も、その通りだと思った。

 脳振盪の危険性は去年のこの時期にも当コラムで触れた。大切なことなので、何度でも書く。安全対策として花園では、W杯やトップリーグで採用されている「HIA」(ヘッド・インジュリー・アセスメント)ではなく、「R&R」(リコグナイズ&リムーブ)を採用している。ドクターが脳振盪の疑いと判断したら、すぐに選手を退場させるシステムだ。

 10分の確認の間、一時交代を認め、安全が確認されたら試合に戻れるHIAより、R&Rの方が安全性はより担保される。多くの専門家はそう言う。2度目の脳振盪を起こすと危険な状態に陥る可能性が高くなる「セカンドインパクト」を避けられるのが主な理由だ。

 だから、あの交代は納得がいった。花園の歴史に残るであろう試合の佳境で、中心選手の一人を代えた監督の決断の尊さを書き残したいと思った。2日後、湯浅監督に話を聞いた。あの時、どんなやりとりがあったのか。

 湯浅監督はドクターから倉橋について「ワンプレー(の間)、状態を見たい」と言われたという。ワンプレー? 試合が途切れれば、その時点でノーサイドとなるのは明白だった。なのに、ワンプレーとはどういう意味か。ドクターも判断を迷っているのか。

 瞬間、指揮官は逡巡する。倉橋は質問に的確に話しているように見える。もっとラグビーがしたい、何としても勝ちたい、という意欲は彼の表情から伝わってきた。ただ、選手たちの心身は極限まで張り詰めている。ドクターの判断を待つ間、14人で戦うのか。それは東福岡に対して失礼にあたる。倉橋の将来のことを考えても、すぐ代えるべきだ。

 前日のやりとりも頭をよぎったという。倉橋とは試合の状況に応じた交代のパターンを話し合っていた。「3列がけがしたら、交代は宮本」。普段の練習態度から湯浅監督が「信頼の塊」というほど、仲間たちは宮本をリスペクトしていた。倉橋とは同じ中学の出身でもあった。宮本との交代なら、倉橋も後悔はないはずだ。

 わずかな時間に思考を巡らせ、湯浅監督は交代を告げた。握手で宮本を送り出す。そばにいた倉橋が「行ってこいよ」と宮本に語りかけたのが聞こえた。

 その後試合は再開された。仰星のノックオンで、死闘は終わった。抽選で準決勝に進んだのは東福岡だった。

 翌日、大会中に滞在したホテルから学校に戻った。頭を打った倉橋は監督の車に乗せていた。車中、教え子に語りかけた。

「仰星を選んでよかったか」

「仰星じゃなかったら、僕は(自分勝手なまま)終わっていたと思います。仰星に入って、メチャクチャ良かった」

 試合後に泣いて、ロッカーですぐに切り替えた、人間味あふれる青年はスッキリとした表情でそう答えたという。

 仰星では脳振盪を極力避けるような練習を日々積み重ねている。だから、湯浅監督はあの場面で選手の将来を考え、躊躇なく選手を代えた。そんなストーリーを勝手に想像していた。実際は少し違った。心は左右に振れていた。

 脳振盪の問題は、イングランドの元代表選手らが引退後の後遺症を訴えるなど、競技が抱える構造的な課題として指摘されている。私は年末、脳振盪に苦しみ引退を余儀なくされた元日本代表の平尾剛さんの話を聞いた。安全対策を進める日本にとっても、この問題は対岸の火事でないことがよく分かった。その意味で仰星の交代はいい前例だ。

 わずかな脳振盪の懸念を感じたらプレーをさせない。特に多くの若年層を教える指導者が持たなければいけない心構えだ。ただ、そこに直面した監督が悩みながら決断したことも忘れたくない。選手たちの成長を強く思うから迷うのだ。その事実もまた尊い。

花園準々決勝。ラスト1分で渾身のプレー。味方のサポートに入る3年・宮本悟(撮影:早浪章弘)