もう何度、聞かれただろう。まぶたを落として口角を緩める。
「高校の時、騒がれました。ツイッターとかで。実力が伴わないので、止めて欲しいですけどね」
一般学生が週に1度、楕円球を追う同志社ラグビー同好会H&Tというクラブに、今季限りで引退する元日本代表戦士と同じ苗字の3年生がいる。
五郎丸裕人は12月20日、日本ラグビー協会主催の東西学生クラブ対抗試合へ先発。体育会のメンバーばかりが登録される山梨学院大学 Green Eaglesに0-103と大敗も、CTBとして鋭い出足のタックルを重ねる。最後まで抵抗した。
「1人に対して3~4人で行って、やっと、止められる。その圧倒的な差が負けにつながったと思います。…タックルだけは、高校の時から取り柄だった。それは頑張っていました」
かの人と同じ福岡県で生まれ育った。小学3年時に帆柱ヤングラガーズへ誘ってくれた友人が、当の五郎丸歩と知己を得ていた。
「なので、有名になる前から存じ上げていました。すごい選手がいるらしいぞ、って」
時間を置いてテレビで大学ラグビーの試合をつけると、「早大の五郎丸選手」を目にした。一層、競技に励むきっかけとなった。キックの代わりにタックルを磨いた。
東筑高2年時は、全国高校選抜大会にWTBで出た。当時のチームには、大型CTBとして注目された当時3年の中野将伍(現 サントリー)がいた。対戦した大阪の東海大仰星高では、中野と早大で同期となる岸岡智樹(現 クボタ)がSOとして出ていた。
日本代表の背番号15がワールドカップ2015イングランド大会でベストフィフティーンに輝くのは、件の選抜大会の約半年後のことだった。学生の五郎丸は言う。
「あの時は相当、名前でいじられました。嬉しいは、嬉しいんです。最初の話の種にはなるので」
自身の名が著名人と似ていたり、同じであったりした場合、当事者にはその事実を相対化、および消化する作業が課される。
1年の浪人生活を経て同大理工学部へ進んだ五郎丸は、コミュニケーションの円滑化にメリットを見出した、というわけだ。
「僕、五郎丸って言うんですよ。本名です、って」
再来年度は大学院へ進み、好きな化学の分野で研究を続ける。