ラグビーリパブリック

私は私。大竹風美子[サクラセブンズ候補]の人生観、ラグビー観。

2020.12.26

170センチ、67キロ。七種競技の中でも100mハードル、砲丸投げ、200mでは専門の選手と比べても遜色のない記録を持っていた。(撮影/松本かおり)


 2020年も残り数日。いろんなことがあった。
 特にオリンピックを目指している者にとっては激動の1年だった。ちょうど1年前の年末年始は、アスリートとして、人生をかける年が始まると気持ちが張り詰めていただろう。
 しかし、目指していたゴールは1年先に延びた。

 東京オリンピック・パラリンピックの1年延期は、トップアスリートたちに様々な影響を与えた。
「あと数か月」が「1年以上先」になり、張り詰めた糸が切れた者もいた。描いてきた人生設計とのズレに、道を外れる決断をする選手も。
 変わらず五輪へ向かっている者の中にも、迷った時期を過ごした後にあらためて走り始めた者もいる。女子セブンズ日本代表候補の大竹風美子もそのひとりだ。

 日本体育大学の4年生。東京高校では陸上競技、七種競技に取り組んでいた。
 楕円球の世界へ足を踏み入れることになったのは、高校時代の体育の授業がきっかけだった。バスケットボールに取り組んでいる姿を見た同校ラグビー部のコーチが声をかける。興味を持ち、やってみたら面白くて、やがて女子セブンズのユース世代から招集された。

 陸上で五輪へ。幼い頃からそう考えてきた。
 でもいまは、始めて4年のラグビーで世界の舞台が近づいてきている。「人生、何が起きるか分からないですね」と笑う。
「(五輪)延期が決まった時はびっくりしました。そこ(2020年夏)だけを目指していたので。アスリートにとって1年は長い。追い込んでいた時期でもあったので、キツイことをまた1年以上もやり続けるのか…とネガティブになったこともありました」
 悪いことばかりが頭の中を巡った。

 そんな時期を乗り越えられたのは、本来のポジティブシンキングのお陰だ。落ち着いて自分に矢印を向ければ、延期の1年には、有意義に使える要素がいくつもあった。
「私はラグビー歴も浅い。もっと理解度を深められると思ったし、痛めていたハムストリングをじっくり治すこともできた。よく考えてみたら、自分にとっては(延期は)プラスでしかないな、と感じたんです。体幹が強くなったことで、ボール争奪戦で今まで以上に戦えるようにもなった気がします」

 チームにもプラス面があった。
「なかなか集まって練習ができなかった時期、zoomなどを使ってのミーティングが何回もありました。普段だと、気づかないうちに決まった人とばかり話していたりするのですが、zoomだとまんべんなく話す。プライベートなことを話し、知らなかった一面を知ることもできた。お陰で以前以上にコミュニケーションが取れるようになりました」
 前向きなマインドセットで、いま、ふたたび五輪前8か月の地点にいる。
「延期になった影響で年齢的に夢を諦めた人もいれば、進行性の障がいを持つパラアスリートの中には、挑戦を断念せざるをえなかった選手もいるはずです。そういう方たちの分まで、頑張っていきたい」

 埼玉県川口市で、ナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれた。4人姉妹の次女である。
 父、エディー・ブリジスさんは8人兄弟。世界各地に散るように勧めた父親の方針に従った。ダンスが得意だった若者には日本行きのチケットが渡され、この国にやって来た。
「そこで母と知り合ったそうです。父は世界のあちこちに兄弟がいますから、私がワールドシリーズのパリ大会に行ったときには、叔父さんが応援に来てくれました」

◆11月29日におこなわれた『リポビタンD presents JAPAN RUGBY CHALLENGE 2020』での大竹風美子のプレー写真

 プロテニスプレーヤーの大坂なおみさんの生き方に共感する。アスリートとしても人間としても尊敬する存在だ。
「以前、ご自身のアイデンティティーを問われたときに、『私は私』と答えているシーンを見ました。そうだなあ、と」
 風美子は何人だよ。
 幼い頃、友だちが何気なく口にする言葉がグサッと心に刺さっていた。
「私はハーフであることとか、自分に自信がなかったんです。でも、いまは違います。私は私、と思えるようになった。特にラグビーを始めて、先輩や後輩たちにたくさん肯定してもらいました。若いうちから世界を転戦させてもらったことも大きかった。そういう経験を積んで、自分の生きていた世界は狭かったと知り、考え方が変わりました」
 自分の中に引き出しが増えたとも言う。

 アスリートだ。人間的な成長はパフォーマンスに直結する。さらに大竹の場合、ラグビー歴の蓄積がそのまま進化を呼んだ。
 ラグビーを始めた頃、潜在能力を迷わず発揮すればうまくいく時期があった。しかし、やがて誰もが壁にぶつかる。例外ではなかった。
「(金メダルを獲った)アジア大会(2018年)が終わった頃までは、ただ楽しくて、自由にやらせてもらっていました。映像を見ると、どうかなあと思うようなプレーもあった。でも、思い切りやったことで結果が出ているようなシーンもありました。そうだったのが、ちゃんと判断しながらプレーしなきゃ、と思うようになってうまくいかなくなった。迷いが出て、自分の良さもなくなったシーズンもありました」

 逡巡した。試行錯誤を繰り返した。そして気づき、決断。
「迷うぐらいなら、(判断が)間違っていてもいいから思い切りやろう、と」
 そう思えるようになって、自分のプレーを取り戻した。

 チームの中の自身の役割を、「盛り上げ役。チームを活気づけたい」と話す。
「チームが本当の意味でひとつになれるような行動をしていきたいと思っています」
 太い絆の仲間たちが本気で競い合う。そんな集団こそ強くなる。
「最後に誰が選ばれても背中を押せる。そんなチームになれるような過程を歩むことが大事だと思っています」

 思い描くような道を歩めたなら、チームは夢の舞台で人々を感動させるようなパフォーマンスを出せると信じる。
「私たちのプレーを見た人たちの中に、自分も今日の仕事を張り切ろうとか、学校で頑張ろうとか、そういうふうに感じてくれる人が少しでもいてくれたらいいな、と思っています」
 背伸びせず。自分らしく。
 そんな気持ちが伝わる言葉に、希望と決意が詰まっていた。

体幹が強くなってプレーの安定感も増した。(撮影/松本かおり)
パスなど細かなスキルをもっと高める意欲がある。(撮影/松本かおり)
周囲とのコミュニケーションを取りながらのディフェンス。(撮影/松本かおり)