3回戦での敗退が決まった直後でも、筑波大のSO山田雅也副将は毅然とした態度を貫いた。
隣でともに抽選を引いた流経大主将、坂本侑翼を、悔しい顔一つ見せずにねぎらう。自分から握手と抱擁を求めた。「頑張ってね。茨城から応援してる」。
「悔しくないと言えば嘘になりますけど、本当に頑張ってほしいと思えたので。ごく当たり前のことをしただけです。航大(岡﨑主将)でも中原(健太副将)でも同じことをしていたはずです」
12月13日、全国大学選手権の3回戦がおこなわれ、筑波大と流経大は19-19の同点で、抽選の末に流経大が準々決勝進出を決めた。
抽選を引く大役を山田が任されることになったのは、CTB岡﨑主将が後半途中に負傷交代したためだった。じゃんけんに勝った予備抽選、予備抽選で先行を引いたのちの本抽選、2回とも筑波大陣地側の封筒を取った。
「確か嶋﨑(達也)先生が、『筑波が先に仕掛ける』と試合前に言っていて。その言葉が頭によぎって、先に仕掛けるイメージで取りました。本抽選も自分の意図で変えたら後悔すると思って、一貫して仕掛けた」
結果として準々決勝への進出は叶わなかった。それでもスタンドへ挨拶に回る時、涙は出なかった。泣けない質なのだ。
「現実を受け入れるためにこの雰囲気を飲み込もうとしてました。スタンドでみんながどんな顔してるかなとか、一人ひとりの顔を見て受け入れた」
チームを次戦へ導くことはできなかったが、岡﨑主将が不本意でベンチに下がるアクシデントにもゲームキャプテンとして対応した。
「最初は僕も黙っていたんですけど、いつもなら聞こえる声が聞こえてこない。航大がいないからだと。そこで腹をくくりました」
筑波大は後半38分過ぎから猛攻に遭っていた。反則も重ね、自陣深くでの相手ラインアウトを許す。ラインアウト前のハドルで口を開いた。
「後ろを見たら電光掲示板の下にみんながいました。お前らあいつらの顔見ろ、あいつらのためにも絶対に負けられないと話しました。それが伝わったのかマイボールになりました(笑)」
ラインアウトのスローが乱れてマイボールに。同点でノーサイドの笛が鳴った。ドローで終えたことに責任を感じるのは、コンバージョンをひとつ外してしまったからだ。後半12分、蹴った瞬間鈍い音が鳴った。
「絶対に決まると思って蹴ったけど当たりが良くなかった。悔やまれます。あのシーンは忘れないと思います」
ただそうした重責を担うからこそ、SOというポジションはやめられない。桐蔭学園時代には藤原秀之監督から「SOは料理人くらいに思わないとダメだ」と教わった。食材を生かすも殺すも自分次第だ。
「専門職だと思っているので。80分出るための準備をしますし、SOの座を渡すのがほんとうに嫌なんです。仲間が相手を抜けないとなったらなんで抜けないかを考えるし、FWが前に出られないとなったら、じゃあBKで考えてみようとか。どうやったら人を生かせるかをずっと考えてやってきた」
筑波大では3年時からSOの定位置を確保した。今季もケガで欠場した青学大戦以外はフル出場。「阿吽の呼吸」でボールをつなげる筑波大の強力BKの起点になった。それでも3年時の対抗戦終盤は、けが人の影響でCTBに回った。たとえチーム事情であっても悔しかった。山田にとってはこうした悔しさがラグビーへの原動力だ。
「高校のときは足を引っ張って、SOなのにチームに対して貢献できている感じが全くなかった。最後の花園でも自分のミスで終わってしまいました。あの時の評価を見返したい思いが強くある」
筑波大へは自己推薦入試で合格。大学後の進路もラグビー枠ではない一般就職から、トップレベルでラグビーを続ける道を決めた。
「引退する時は一番うまい状態で終わりたい。まだ全然ピークじゃない。伸び代しかない」
いつだって悔しさを糧にしてきた。努力し続けた先に、あの時の評価が覆ることを信じている。学生最後の試合になった流経戦だって、まだまだラグビーがうまくなりたいと思えるエネルギーにいつか必ずなる。