己と向き合った。課題のスクラムで自信をつけた。早明戦でも好プッシュを重ね、勝利をもぎ取った。
「僕らは僕らのスクラムを組めば、圧倒できる」
12月6日、東京・秩父宮ラグビー場。加盟する関東大学対抗戦Aの最終戦で明大の最前列右に入った村上慎は、戦前から自らに言い聞かせた。
いざ芝に立てば、対する早大に何度も組み勝った。村上が腕の取り合いで対面の動きを制御するような形に持ち込むと、左側の中村公星が中央方向へせり上がる。
14点リードで迎えた前半22分頃には、そのひと仕事でチャンスを作った。
相手エースの河瀬諒介のカウンターアタックで中盤の防御ラインを破られた直後、相手のスローフォワードによって自軍スクラムを得る。押す。ペナルティキックを獲得した。
明大は間もなく敵陣ゴール前右まで進み、ラインアウトモールで追加点を決めた。
村上は結局、26-7とリードした後半13分までプレー。最後は34-14で勝った。進化の背景には、こんな言葉を選んでいる。
「自分の悪いところに目を向けた」
身長181センチ、体重112キロと大柄な戦士は、ずっと楕円のボールに引き寄せられてきた。
一般入試で法政二中に入ると、系列の高校で強いアメフト部が中学にないとわかった。ラグビー部に入ったのは、ラグビーが父の哲也さんもしていたアメフトに似ていそうだったからだ。
もっとも、ラグビーとアメフトは別な競技だ。ラグビーでは比較的どのポジションの選手でもボールを触る機会を得やすいとあり、よく突進できた村上は内部進学先の高校でもラグビーを選んだ。
ポジションは高校1、2年時に2列目のLOだったのを除けばずっといまの右PRだ。大学選びの際は、好きなラグビーで日本一を狙いたくなった。義兄の筆谷優樹さんが明大OBだった縁もあって、当時全国優勝通算12回の強豪に足を踏み入れた。
重戦車FWを伝統的な部是とする明大にあって、「FWが厳しい練習をしてどれだけこだわるか…。スタイルがある」。定位置の確保は簡単ではなかった。
主戦級だった笹川大五が卒業した今季、序盤から先発に定着したのは1学年下の大賀宗志。村上は1年生の為房慶次朗とリザーブの席を奪い合っていた。
ただしその間、本人が見ていたのは周囲の動向ではなく自分のあり方だった。チームが開催する外部講師を招いてのメンタルセミナーへ申し込み、約30分間の面談で悩みを打ち明けた。考えを整理した。
「自分は他人を見過ぎている。自分に目線を置いて考えてみよう」
下級生レギュラーを気にしすぎるのではなく、自分の改善点のみを点検するようにした。「自分の悪いところに目を向けた」のだ。
「いままでよりも、他を見なくて済む。他がよければ自分が下がるのではなく、自分がよければ自分がいい(評価を受ける)。そういう、伸ばせるメンタルになったと思います」
特に向き合ったのがスクラムだ。かねてフィールドプレーと比べスクラムに課題があると指摘されてきたが、雑念を取り払ったことでその現実をより直視できた。
チームの分析担当に「下級生の頃からよくスクラムの映像を見ていた」と証言されるように、もともと研究熱心だった。「伸ばせるメンタル」を構築したことで、明大の看板であるスクラムを支えるのに必要な姿勢を再構築できた。
おりしも11月中旬、主戦の大賀が一時離脱した。11月22日の帝京大戦に向けたスクラム練習を経て、田中澄憲監督にこう伝えられたという。
「3年生としてチームのプライドを背負って戦えるのはお前だ」
果たして当日。互角に映ったファーストスクラムの時点で、自身の側への圧力はそう感じなかった。隣で組むHOの田森海音と相談し、自身の側からせり上がれるよう力の向け方を微修正した。すると、組むほどに好プッシュの連続だ。終盤は向こうの始動が早いと見られるなどし、再三、フリーキックを獲得できた。
「帝京大側が自分たちのスクラムを組めなくなって、それに対して明大は自分たちのセットアップ(所定動作)ができていた」
ボールが動き出せば、もともと得意だった突進、タックルを披露。「自分はセットプレーが乗るとフィールドプレーもよくなるので、(全体的に)プレーがよくなった」。かくして大賀も復帰していた早明戦でも、村上が背番号3をつけた。
対抗戦を制してむかえたいま、12月19日に参戦予定の大学選手権へ静かに闘志を燃やす。
「自分が3番のまま優勝して終わりたいです」
1年時以来通算14度目の大学日本一の瞬間を、レギュラーとして味わいたい。