第100回高校ラグビー全国大会への敗者復活出場1枠をかけた近畿地区のオータムブロックチャレンジトーナメントは11月23日、大阪・花園ラグビー場第Ⅱグラウンドで決勝戦があり、報徳学園(兵庫)が天理(奈良)を15-7(前半7-0)で降し、優勝した。
報徳学園は5年連続46回目の本大会出場となる。
報徳学園には、チームとして負けられない理由が2つあった。
部長と主将のためである。永井幹夫部長は来春、国語科教員として65歳の定年を迎え、竹ノ内堅人主将は今年6月、右ひざのじん帯を断裂した。手術後、給水係になる。
この2人を花園に連れていかねばならない。その使命感がみなぎる。
7-0の後半5分、トライを挙げたのは、その竹ノ内主将とCTBでコンビを組んだ2年生の山村和也だった。白い防御の間を赤黒がスピードで抜き、約40メートルを走り切った。天理追撃の意志をくじく。
「スペースが見えました。最高の気分です」
山村三兄弟の末弟はその能力を示す。次兄の知也は明大から今年、リコーに入ったバックスリーの選手だ。
「兄とは毎日、LINEなんかをしています。この試合の前も、自分のプレーをしなさい、とアドバイスを送ってくれました」
山村は最後のスクラムからも縦に入り、時間消費の最初の重責を担った。サイズは180センチ、73キロ。強さはもちろん、横への大きなステップも持っている。
「キャプテンを全国大会に連れていってあげられてよかったです」
よろこびはひとしお。山村と竹ノ内は同じ吹田(すいた)ラグビースクールの出身だった。
報徳学園は、60分間を通して、前に出てタックルをし続けた。試合を観戦した清鶴敏也全国大会シード委員長(同志社香里監督)は感じ入っていた。
「報徳はディフェンスでのミスがない。集中力も途切れない」
西條裕朗監督は振り返る。
「工学院の試合で前に出られたからね。それで自信を取り戻したと思います」
2日前の準決勝では24-21と全国優勝4回を誇る京都工学院を振り切った。県大会決勝で関西学院の出足の鋭さにたじろぎ、10-34と完敗したひ弱さはない。
この両チームは7月に練習試合を行い、報徳学園が勝っていた。泉光太郎コーチはその時のことを語る。
「トライ数は2-2で行って、最後にウチが1本獲った感じです」
リベンジは許さなかった。
試合後、花園の第2グラウンドで真っ先に胴上げされたのは永井部長だった。続いて、竹ノ内主将が3回、宙を舞った。
「同期や後輩たちに感謝したいです。全国大会はテーピングをがちがちに巻いて、少しでもいいから出たいです」
竹ノ内主将は笑った。卒業後はラグビー部初の筑波大への進学、そして部員になるため、現在、受験の最中である。
天理は後半11分、ゴール前のラインアウトからモールを押し切る。コンバージョンが決まり、7-12と追い上げたが、あとが続かなかった。
松隈孝照監督は勝者を讃えた。
「報徳のディフェンスがしつこかった。ウチの力不足です」
天理らしくない反則やミスもあった。
前半26分、インゴールに手を伸ばし、トライに見えたが、ノット・リリース・ザ・ボールの判定。前半終了間際には、ゴール正面15メートルのPKで3点を狙わず、スクラムを選択。8次攻撃で落球した。
2日前、優勝候補の本命である大阪桐蔭を19-10で破った。そこがヤマになってしまったのでは? という質問に答える。
「僕自身はそういうことはないが、大阪桐蔭に対して構えてしまうところはあった。生徒たちに聞いてみないとわからないけれど、そういう部分はあったかもしれません」
抽選のあや。高校ラグビーは難しい。
兵庫県からの2校出場は1948年(昭和23)に学制改革があり、新制高校になってからは初めて。旧制中学時代には、1942年の24回大会で神戸二中(現・兵庫)と神戸村野工の出場がある。ただ、この時は太平洋戦争の影響で関西と九州の2場所開催だった。