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報徳15-7天理。激戦・近畿オータムを制し、報徳学園が花園へ

2020.11.23

報徳は、準決勝の京都工学院戦を糧にさらに成長していた(撮影:佐藤真一)

 第100回高校ラグビー全国大会への敗者復活出場1枠をかけた近畿地区のオータムブロックチャレンジトーナメントは11月23日、大阪・花園ラグビー場第Ⅱグラウンドで決勝戦があり、報徳学園(兵庫)が天理(奈良)を15-7(前半7-0)で降し、優勝した。

 報徳学園は5年連続46回目の本大会出場となる。

 報徳学園には、チームとして負けられない理由が2つあった。

 部長と主将のためである。永井幹夫部長は来春、国語科教員として65歳の定年を迎え、竹ノ内堅人主将は今年6月、右ひざのじん帯を断裂した。手術後、給水係になる。

 この2人を花園に連れていかねばならない。その使命感がみなぎる。

 7-0の後半5分、トライを挙げたのは、その竹ノ内主将とCTBでコンビを組んだ2年生の山村和也だった。白い防御の間を赤黒がスピードで抜き、約40メートルを走り切った。天理追撃の意志をくじく。

「スペースが見えました。最高の気分です」

 山村三兄弟の末弟はその能力を示す。次兄の知也は明大から今年、リコーに入ったバックスリーの選手だ。

「兄とは毎日、LINEなんかをしています。この試合の前も、自分のプレーをしなさい、とアドバイスを送ってくれました」

 山村は最後のスクラムからも縦に入り、時間消費の最初の重責を担った。サイズは180センチ、73キロ。強さはもちろん、横への大きなステップも持っている。

「キャプテンを全国大会に連れていってあげられてよかったです」

 よろこびはひとしお。山村と竹ノ内は同じ吹田(すいた)ラグビースクールの出身だった。

 報徳学園は、60分間を通して、前に出てタックルをし続けた。試合を観戦した清鶴敏也全国大会シード委員長(同志社香里監督)は感じ入っていた。

「報徳はディフェンスでのミスがない。集中力も途切れない」

 西條裕朗監督は振り返る。

「工学院の試合で前に出られたからね。それで自信を取り戻したと思います」

 2日前の準決勝では24-21と全国優勝4回を誇る京都工学院を振り切った。県大会決勝で関西学院の出足の鋭さにたじろぎ、10-34と完敗したひ弱さはない。

 この両チームは7月に練習試合を行い、報徳学園が勝っていた。泉光太郎コーチはその時のことを語る。

「トライ数は2-2で行って、最後にウチが1本獲った感じです」

 リベンジは許さなかった。

 試合後、花園の第2グラウンドで真っ先に胴上げされたのは永井部長だった。続いて、竹ノ内主将が3回、宙を舞った。

「同期や後輩たちに感謝したいです。全国大会はテーピングをがちがちに巻いて、少しでもいいから出たいです」

 竹ノ内主将は笑った。卒業後はラグビー部初の筑波大への進学、そして部員になるため、現在、受験の最中である。

 天理は後半11分、ゴール前のラインアウトからモールを押し切る。コンバージョンが決まり、7-12と追い上げたが、あとが続かなかった。

 松隈孝照監督は勝者を讃えた。

「報徳のディフェンスがしつこかった。ウチの力不足です」

 天理らしくない反則やミスもあった。

 前半26分、インゴールに手を伸ばし、トライに見えたが、ノット・リリース・ザ・ボールの判定。前半終了間際には、ゴール正面15メートルのPKで3点を狙わず、スクラムを選択。8次攻撃で落球した。

 2日前、優勝候補の本命である大阪桐蔭を19-10で破った。そこがヤマになってしまったのでは? という質問に答える。

「僕自身はそういうことはないが、大阪桐蔭に対して構えてしまうところはあった。生徒たちに聞いてみないとわからないけれど、そういう部分はあったかもしれません」

 抽選のあや。高校ラグビーは難しい。

 兵庫県からの2校出場は1948年(昭和23)に学制改革があり、新制高校になってからは初めて。旧制中学時代には、1942年の24回大会で神戸二中(現・兵庫)と神戸村野工の出場がある。ただ、この時は太平洋戦争の影響で関西と九州の2場所開催だった。

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