ラグビーリパブリック

【ラグリパWest】奇特さを示す。包行良光 [キャニコム代表取締役社長]

2020.11.06

うきは市のゆるキャラ「うきっぴー」とコラボしたTシャツを着る包行良光さん。キャニコム社長として愛する地域と自社のPRに余念がない。本社エントランスにある企業理念を示すボードの前で


 きとく。「奇特」と書く。
<心がけや行いがすぐれて、ほめるべきものであること>
 岩波文庫の広辞苑にはそう載っている。
 この名詞で、包行良光(かねゆき・よしみつ)を言い表せる。

 不惑の社長は、勤める地域にある高校ラグビーに寄付行為をする。
「おじさんが、できることをさせてもらっているだけですよ」
 俳優の谷原章介似の顔が緩む。外面も内面も男前。自身も楕円球を持ったことがある。

 経営に責任を持つ「キャニコム」は福岡県の南東、うきは市に本社を持つ。農業や土木や林業などの運搬・作業車などを製造する。

 同じ市内には浮羽究真館がある。監督の吉瀬(きちぜ)晋太郎は大目標を掲げる。
「10年で高校ラグビー日本一」
 県内には東福岡がある。冬の全国優勝6回、歴代4位の「怪物」にあえて挑む。
 この100回の全国大会予選も11月1日の4強戦で、その怪物に5−94で敗れた。

 包行は無謀とも思える大目標を立てる35歳とチームを部外者として援助する。
 関わって4年。今まで喜捨した金額は5万や10万ではない。公表はしたことがない。
「目立つのはきらいなんです」
 その使い道に口を出すこともない。

 出会いは3年前の5月。浮羽究真館が主催した田んぼラグビーである。キャニコムはラグビー経験者の重役・真鍋弘を通じて、唯一の私企業スポンサーになった。
「感動しました。終わったら、ロッカーやシャワー室がきれいに掃除されていました」
 1か月前、女子マネだった吉田すずが、吉瀬が教えたラグビー部員として初めて入社する。その仕事ぶりもよかった。

 吉瀬は浮羽究真館の前身、浮羽から京産大に進んだ。FBとして公式戦に出場。ラグビー無名校出身ながら、監督の大西健が課した猛練習から4年間、脱落しなかった。同期には日本代表キャップ51を持つPRの山下裕史がいる。
 会社員を経て、県高校の保健・体育教員に合格する。2015年、母校とも言える学校に赴任した。今年6年目になる。

 これまでの県公式戦の最高位は4強。強豪のひとつに数えられるようにはなったが、全国舞台、そして日本一は遠い。
 それでも、包行の姿勢に変わりはない。
「吉瀬先生は、純粋で、まっすぐです。そして、熱心でもあります」

 包行は先を見る。
「仮に人工芝のグラウンドができれば、それは目に見える変化になりますね」
 ラグビー部OB会の有志は同じ考えを持っている。NPO法人を立ち上げ、地所を手に入れ、人工芝を敷く。その計画を立てる。土地を除く工事費用だけでも億はかかるが、その捻出ができれば、吉瀬の大目標は近まる。

 ラグビーが強くなり、インフラが整えば、それは「街おこし」にもなる。
 チームが集まれば、食費や宿泊費などが地元に落ちる。高校生には保護者などがつく。近くには温泉もある。人口3万ほどの市にとって、過疎をはね返す新しい目玉になる。
 ここに根を張る企業にとっても、地域が栄えれば、恩返しのひとつになる。

 包行はラグビーを中村学園三陽で始めた。
「やることがなかったですから」
 中高6年間、続けた。現役時代の体格は173センチ、80キロ。高校ではFLだった。



 3つ上の冨岡鉄平とは一緒に練習をした。
「テッペイさんが来ると、すごい楽。2本目に入るんですが、1本目をけちょんけちょんにいわしてくれました」
 後年、CTBとして日本代表キャップ2を得る先輩は切れまくっていた。冨岡は2014年度から3季、東芝の監督もつとめた。
 包行は、母校にもタックルバッグやプロテインなどの援助を怠らない。

 卒業後は帝京大に進む。足首のねんざ癖もあって、体育会系には入らなかった。
 一般企業で2年働き、父・均(ひとし)が社長をつとめた当時の筑水キャニコムに入る。父は今、会長として支えてくれている。

 社内では海外事業を担当し、アメリカ西海岸のシアトルで20代後半を過ごした。
「今まで30か国くらいは行きました」
 早くからTwitter やYouTubeで情報発信。プエルトリコからコーヒー豆用に運搬車の注文が入る。カリブ海に浮かぶアメリカ領の島まで飛んだこともある。
「立ち上げた時の売り上げは3億。今は22億円になりました」

 キャニコム(CanyCom)には、「Can Carry Any Communication」を元に、「Caneyuki Company」の意味も込められている。
 ユニークな会長が「まさお」と命名した四輪駆動の乗用草刈機は2015年、「ものづくり日本大賞」で製品・技術開発部門の優秀賞に輝いた。

 包行家は鎌倉時代から続く刀鍛冶の家系である。その始まりは初代・包永。代表作である太刀『手掻包永』(てがいかねなが)は国宝。包行は20代目に当たる。商品は変わっても、ものづくりの血は受け継がれている。

 テレビ東京が制作する『カンブリア宮殿』でも、「世界で戦うニッチな企業」として2014年に取り上げられた。包行は振り返る。
「福岡では最初に取り上げられた一風堂さんとふくやさんとの間でした」
 ラーメンや明太子で知れ渡る企業と並び、経済に強いテレビ局から評価される。

 祖父が1955年(昭和30)に興した会社は従業員300人ほど、本社を含め、全国9か所に事務所などを構えるまでになった。

 包行は、経営に力を尽くしながら、ラグビーを助ける理由を話す。
「人間形成に必要なスポーツだと思うからです。耐えることや理不尽を学びます」
 遠い駅の切符を走って買って来い、と言われた経験もある。そういうことを乗り越えた先に、社会でもまれても生きる力がつく。

 包行は言う。
「下手でもラグビーを続けてほしい」
 高校の同期は26人。自身はレギュラーではなかったが、ある試合で、修猷館のNO8と対戦する。
「ボコボコに抜かれました」
 山本英児。慶應に進み、九州電力に戻る。日本代表キャップは4。格段の差があった。

 それから、20年以上が経つ。
 社会に出てからは、九州電力の社員と経営者の立場になった。
「今はエイジ君と人生においては、対等だと思っています。長い人生の中で挽回はいつでもできる。18の劣等感は屁みたいなもの」
 ラグビーはやるに値するスポーツ。その一助になるように後進に手を差し伸べる。

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