伝えたのは、全てのラグビー選手への願いだった。
「ただ、ラグビー選手になってよかったと、人生を通して言って欲しい。辞めてみたら生きがいもわからないし、(社員選手を辞めた選手が)会社にいても…というふうには、なってほしくない。きれいごとじゃなくて、幸せでいて欲しいんですよ。そうすると、『あ、なんかラグビー選手のあの人は、人生を通してずーっと笑顔でやっているな』というのが伝わってくる。(その延長で)子どもを持つ親御さんも『ラグビー選手なら、現役が終わっても楽しい、納得した人生を送っているみたいだから、いいね』と感じるかもしれない」
川村慎。今年から日本ラグビー選手会で会長を務める33歳だ。
香港ラグビーフットボールクラブで楕円球と出会い、府中ジュニアラグビースクール、慶應高、慶大を経て2010年に博報堂に入社。社会人になってからは一時、競技から離れたが、同年のうちにNECへ転職した。以後、国内トップリーグに参加するラグビー部で社員選手として活動する。
母校の慶大は関東大学対抗戦A(対抗戦)の古豪でありながら、卒業と同時に競技を引退する実力者が多いことでも知られる。対抗戦には早大、明大といった全国的な人気校も参戦しているのを踏まえ、川村は思いを語る。
「僕自身が(一時)そうだから言うわけではないですけど、対抗戦トップレベルの大学の選手は、ラグビーを続けなくても巷で言われている人気企業に入れてしまうじゃないですか。(そのため)日本のラグビー界的に(辞めるのが)もったいない人たちが(一般企業の)社会人になってしまうことへの懸念を、ずっと持っていたんです。もっとラグビーをやればいいのに、頑張れば日本代表になれるのに、と。もちろん、ラグビーを辞めることもその人の人生なのでいいのですが、そういう人(早めに引退を選ぶ学生選手)にとってもトップリーグが魅力的だと思ってもらえないのはもったいない。僕自身、広告会社からトップリーグ(に参加する企業)に入った時、トップリーグに入るからには、前いた会社よりも(ラグビー界を)おもしろい業界にしたいと思ったわけです。僕自身はラグビーをやりたかったのでそもそもおもしろいと思えるのですけど、周りの人にも『トップリーガーになったらおもしろいのかもしれない』『トップリーガーの人生もありかも』と思って欲しいなと思った。自分が辞める時は、なるべく(ラグビー界を)そう思われる業界にして辞めていきたい」
ビジョンを具現化する第一歩は、「僕自身が自分の人生を楽しめている人間になること」。その意識の表れだろう。動画共有コンテンツの「YouTube」でチャンネルを作り、『キャベツな生配信』というオンライントークを企画。所定のテーマに基づき、さまざまなチームの選手と語らう。
「無理しても仕方がない。やれること、やりたいことをやろう」とその心を明かし、改めて強調する。
「根底にあるのは、ラグビー選手になりたいという若い子たちが増えて欲しいということと、選手がこんなことをしてもいいんだと他の選手たちに思って欲しいということ。僕がうまくできているとか、すごいフォロワーが集まっているというわけではない。だから自慢できるほどのことではないです。ただ、僕だけではなくていろんな選手がもっと自由な発想で、ラグビーの魅力、ラグビー選手そのものの人生のおもしろさを世の中にアピールできるといいなと思い、いろんなことに挑戦しています」
アスリートとしての活動のかたわら、京都芸術大の通信制で建築を学ぶ(筆者注・10月19日、「大学院」と記しましたが、誤りのため改正しました)。ここにも「それ(学業)があるからといって選手としての時間を無駄にしているとは思わない」と、人生観をにじませる。
「僕、セカンドキャリアって言葉が好きではなくて。キャリアって一本道だと思うんです。人生の中にラグビーをしている僕がいるだけ。それを意識すると、ラグビー以外に興味のあることが何かを考えるのは普通のことだし、きわめて自然です」
話をしたのは8月下旬。その後、部員の新型コロナウイルス感染によりチームでの活動を止めざるを得なくなったが、10月7日、約3週間ぶりにリスタートを切った。引き続き、ラグビー選手という人生選択のおもしろさを多角度的に示してゆく。