松山聖陵は丘の上にある。
温暖な愛媛にある高校では、ラグビー界を席捲しようとする取り組みがなされている。
監督の渡辺悠太は言った。
「仰星をひっくり返す。何年かかるか分かりませんけど。中四国の層も崩します」
母校は東海大仰星。冬の全国優勝5回のチームを破り、ブロックの頭を獲りたい。
32歳。青年「ナベ」の計画は壮大だ。
そのための環境整備は進んでいる。
花園出場は4回。そのうち3回はナベが成した。
校内の人工芝グラウンドは優先して使える。ウエイトルームもできた。43人の部員が一時にマシンやバーベルを使える。関西から経験者を呼ぶための寮も25人で稼働中。今年9月から、専門業者が作った朝晩2回のアスリート食も学食で出るようになった。
そこには、ラグビーの先輩である71歳の校長の援護がある。
渡部正治(しょうじ)は松山商から日体大に進んだ。現役時代はNO8。県立校で教え、定年を迎えた後、松山聖陵に招かれた。
39歳下のナベの評価は高い。
「選手を乗せることや育てることがうまい。これは持って生まれたものです」
渡部は松山商時代、名門の野球部を辞めた仙波優(まさる)をすくい上げた。
強さと速さを兼ね備えたWTBは、大学同期の春口廣が監督をする関東学院大からトヨタ自動車入り。7人制日本代表の軸になった。
1999年、自動車事故で急逝。25歳だった。
最高の選手を作った実績は不滅である。
渡部はアイデアマンでもある。
松山聖陵には全国でも珍しい「ドローン研究同好会」がある。ラジコンヘリを飛ばして映像を撮るなどする。
「先手必勝。二番煎じはダメです」
ナベは畏敬の念を持つ。
「先生が着任されてから、600だった生徒数が1100になりました。すごい方です」
学校創立は1961年(昭和36)。私立男子校だったが、2008年に共学に移行。普通科(特進、進学、情報、スポーツ)と工業科(機械、建築、自動車工学)の2科7コースを持つ。
ラグビー部ができたのは創立の4年後。花園最高位はナベの作った3回戦進出だ。96回大会(2016年度)で、優勝する東福岡に0−91の記録が残る。
ジャージーは明大と同じ紫紺×白の段柄。初代監督の烏谷(からすだに)忠男は新田から明大に進学した。その縁である。NO8だった烏谷は日本代表にも選ばれる。ただ、活躍した1960年代のキャップ対象試合はわずか6。そのためキャップは持っていない。
烏谷が結成した部は、今年56年目を迎えた。そのチームを率いるナベ。今は当時と比べると、大阪を中心に県外生も多い。
「愛媛の子は謙虚なんですね。遠慮がある。だから、外の血を入れた方がいい。大阪の子はうるさいくらいしゃべってきます」
ラグビーはコミュニケーションのスポーツ。そのためもあって勧誘に力を入れる。
ナベは高校時代、レギュラーWTBとして全国優勝を果たした。86回大会(2006年度)の決勝は東福岡に19−5。仰星のSOは山中亮平だった。東海大ではバックローのリーチ マイケルと同期になる。
山中(神戸製鋼)とリーチ(東芝)の日本代表キャップは18と68。一流選手たちと過ごせた経験は強みのひとつだ。
大学卒業後、滋賀で講師を1年した後、ラグビー部監督、保健・体育教員として松山に飛んだ。今年で9年目。結婚して2児の父にもなった。伊予人として生きる。
松山聖陵は今春、5年ぶりの選抜出場が決まっていた。県新人戦決勝は新田を12−5で降し、四国大会はつるぎ(徳島)を66−7、高知中央を33−14と連破して優勝した。しかし、コロナのため大会は中止になった。
「4月に非常事態宣言が出て、2週間ほど学校は封鎖されました。1か月くらいは寮生と山道を走ったりしました」
ウエイトトレもはじめて毎日1時間やるように義務づける。
フィジカルの強さとともに、ボールを動かせるのが今年のチームの特徴だ。
その中心は主将のSO中村一貴(かずき)。昨年はFBやSHをこなした。パスで人を使え、自分でも行ける。167センチと小柄ながらキックも飛ぶ。
中村は大阪の喜連中出身だが、ナベに惹かれて瀬戸内海を横断した。
「先生は体を張って教えてくれます。そういう先生に出会えたのが一番です」
ナベは高校生と一緒に練習する。ラインに入る。パスを放り、抜きにかかる。
中村ら寮生の面倒を見る寮監は磯川哲平だ。部長と保健・体育教員も兼務する。ナベの東海大の同期で、現役時代はHOだった。
「寮生がストレスをためないように、できるだけ話しかけています。県外から来て、勝負をしている気持ちに応えないといけません」
磯川は補食としてミックスジュースや炒飯を作り、寮生の旺盛な食欲を満たしてもいる。
学校一丸で臨む100回記念大会の県予選は、組み合わせ抽選会が10月13日にある。
当然ながら、目標は2年連続5回目の花園出場であり、3回戦を超える8強進出だ。
「ベストエイトに入れるよう頑張ります」
主将の中村は力を込める。
学校は松山の中心から北西にある。住所は久万ノ台。その台上からの睥睨(へいげい)を四国から全国に広げられるようにしたい。そのために切磋琢磨を続けていく。