7-84。厳しい現実がスコアボードに刻まれた。
9月21日、東京都日野市内の帝京大百草グラウンド。東海大ラグビー部は2009、15、16年度の大学選手権決勝を戦った帝京大と今季初めての練習試合を実施。しかし主力組同士の一戦では、ミスや反則を契機に大量失点を与えてしまう。
木村季由監督の見立ては、「帝京大さんが覚悟を決めてシンプルにゲームを作ってきたのに対し、うちは(シーズン終盤に)最終的にやりたい形をイメージしながらやってきた。そのアプローチの差が出た」。そもそもこのカードを組んだのは、「ショック療法になったとしても帝京大さんと試合をする意味がある」と考えたからだ。裏を返せば、この日は初の日本一という目標値と現状との違い、これからすべきことを正確に把握できたと言えよう。
10月4日、加盟する関東大学リーグ戦1部の開幕を迎える。指揮官はこうも言った。
「リーグ戦を通して徐々に…なんて言っていると足元をすくわれる。その前にいかにその意識、本気度を上げられるか(が焦点だった)。自分たちの形を整えるのではなく、ハードワークするのが大事。序盤はそこを徹底的に突き詰めないとだめだと。リーグ戦序盤は下手な試合になるかもしれませんが、いとわずに激しさを出すことが大事だと思っています」
学生の先頭に立つ主将は吉田大亮だ。
身長188センチ、体重101キロ。京都プログレRFC、修学院中、東海大仰星高を経て東海大入り。従来はパススキルの求められるCTBなどでプレーも、現在はFW最後列のNO8で身体能力を活かす。帝京大戦でも、スクラムサイドからの攻撃時に持ち前の速さと強さをアピールした。
その2日後、オンライン会見で指揮官と似た見解を述べる。
「自分たちの立ち位置を再認識できました。自分たちはまだまだ強くない。課題も明確になった。結果で見ると大敗だったんですが、それ以上に自分たちの力量、立ち位置がわかった。やるべきこともまだまだ多いですが、リーグ戦の前に立ち位置を明確にできてよかったと思っています。(練習再開が)ハンドリングの部分から始まって…(時間が経っていない)という言い訳をするのは簡単ですが、結果を得て、見つめ直してやっていきたいと思っています」
チームへの愛情。これが吉田に主将を任せた最大の理由だと、木村監督は言った。
印象的なことがある。
もともと主力級だった吉田は昨季終盤に負傷。一般的な3年生以下の選手なら「来年に向けて」と個別練習やリハビリに注力するところだが、この人は傷んだ身体に鞭を打ってレギュラー争いに挑んでいたという。
日に日に吉田のコンディションが悪化したと見て、木村の方から「休め。これで終わりの選手じゃないんだから、無理することはない」と助言。それでも吉田は「ごまかし、ごまかし」という状態でグラウンドへ訪れたようだが、指揮官は再び「自分のことも、チームのことも考えるなら、いまできることを切り替えてやりなさい」と休養を厳命。ここでやっと、青年は引き下がった。
吉田がけがを押してプレーを続けようとしたのも、吉田が来年以降を見据えて別メニューに転じたのも、チームを思っての行動なのだと木村監督は捉えた。「人間性」を重視する指揮官が吉田に大役を任せるのは、自然な流れだった。
「吉田は、まずはいちばんチームに対する愛情を強く持っている人間だということです。休めと言った時についても、自分のことだけを考えてとにかく(練習を)やるという子もいるわけです。ただ吉田は、こちらが休めと(真剣に)言ったら、ちゃんと休んだんです。本人はグラウンドにいたかったのに、そこから一歩引いた形になった。我を通すことだけじゃなく、チームにとって何が大事かを第一に考える。信頼感があるなと思いました」
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、チームは4月上旬に全部員の入る寮を解散させた。当初はオンラインでの合同トレーニングも計画されるも、各選手の帰省した家庭環境がさまざまであることがわかった。木村監督の言葉を借りれば「下でおばあちゃんが寝ているから、朝から床をどんどんできない、とか」。自ずと個別調整の時間が増えた。
キャンパスへの入構には制限がかけられ、部員が徐々に戻り始めるには7月中旬まで待たなくてはならなかった。さらに、予定されていた関東大学春季大会が中止となるなど実戦機会も失われる。
リーグ戦3連覇と初の日本一に向け苦しいプレシーズンを強いられたのだが、吉田は、徐々に練習が再開される7月までの時間を前向きに消化していた。今度の社会情勢の変化にも動じなかった。動じないでいようとした。
「トレーニングができない、春季大会がなくなったということは、誰が悪いわけではないですし、決まってしまったことなので。残念な部分はありましたが、フラストレーションは少なく、いつ試合が始まってもいいように調整するだけでした。身体、フィットネスのアップはできました。その分の貯金が、これからのレベルアップにも影響すると思います。自分に足りないものを見つけ、考えてスケジューリングする部分でも学びは多かったです。被害を受けている方もいるなかでこういう言い方は不謹慎になるかもしれませんが、(自粛期間は)あってよかったのかなと言えるくらい、すごく充実した時間でした」
とはいえ、自分と周囲の意識の違いには葛藤を抱えていたような。
長野・菅平合宿を始めた8月17日、全部員へ「全員に本気でAチーム(レギュラー)を目指してほしい。いまそういう状態になっているかといったら、なってないと思う!」と大声で発破をかけていた。
木村監督は本人を「まぁ、そう慌てなさんな」と落ち着かせながら、状態の上がらない部員へは「こんな(当たり前の)ことを主将に言わせるな」と伝えたという。船頭役の痛切な願いが、173名の部員の心へどこまで深く刺さるか。指揮官はこう心配する。
「自分で言うのも変ですが、うちの大学は鍛えてナンボなんです。時間をかけて、顔、膝を突き合わせて、いいところ、悪いところぶつけ合いながら子どもたちは成長し、僕らも気づかされる。それって結局、どれだけ時間をかけたか(に左右される)。ただ今年は約3か月という時間をかけていない分、温度差が埋まってこないところがありますよね」
リーグ戦開幕を間近に控え、夏場の心境を問われた吉田は「集まった時、(皆が)同じ水準だったかと言えばそうじゃなかったです」と認める。ただし、最終的には己に矢印を向けた。
「集まったのは7月。本来なら春季大会を経てチームができあがる時期でした。『本当になんとなく皆がいるから戻ってこよう』ではなく『ジャージィを着る、メンバー争いに参加する』という気持ちで戻って欲しいと、選手に投げかけました。その後も『(練習が)始まったから…』と慣れ合いでやるんじゃなく、突き詰めて、厳しさを持ってやっていかないと間に合わないと思った。厳しさを持って接して、いまに至っています」
そう。タフな現実からは逃げないで、「厳しさを持ってやっていく」という理想的なチーム作りを止めない。その意味では、出場選手の尻に火をつけた帝京大戦は飛躍のきっかけとなりうる。
「自分たちのラグビーで少しでも日本を元気にできることを目指します。日本一にもチャレンジできればと思っています」
壮大な目標を掲げながらも、地に足をつけた印象だった。