くじけそうになった。緩みかけた。それでも、中大ラグビー部の藤牧拓真は最後の最後まで踏ん張るつもりだ。学生ラストシーズンに向け、静かに決意を込める。
「積極的に意見を出せる人間ではないですが、プレーで示すために、一生懸命、やってきました」
身長181センチ、体重94キロのサイズで、首脳陣によれば運動能力が高くてけがに強い。社会情勢の変化のため夏合宿のおこなえなかったプレシーズンにあって、敢闘賞級の評価を得ていた。
もっとも本人は、謙遜する。
「自分は、家に帰ってしまった時にだれてしまいました」
4月1日に寮が解散したのを機に実家へ戻ると、「栄養バランスに偏りが出てしまって」。自宅でバランスのよい食生活を続けるのが難しかったようだ。
目が覚めたのは、全体練習が再開した6月以降。「ここへ戻って来た時に、(自分は)4年生なんだと改めて感じた」。学生クラブにとって、最上級生は鏡となりうる。特に今季の中大では川勝自然主将ら同級生の軸が、新型コロナウイルス感染症対策や個人練習の内容について積極的に討議していた。藤牧も尻に火をつけ、残暑厳しいグラウンドでも危機感を保っている。LOのレギュラー争いに加わる。
「自分は一番、身体を張るポジション。練習が終わってからもウェイトトレーニング、自主練に取り組んでいます」
世界にこのスポーツがあってよかった。
幼少期を振り返れば、「やんちゃだった。学校生活ではいろいろなケンカがあり、親には怒られていました」。小金井ラグビースクールの存在を知ったのは10歳の頃。いざグラウンドに出れば、持ち前の資質を称賛の対象にしてもらえた。
「タックルをしたら、人に喜ばれて。快感、刺激があったため、はまってしまいました」
青春を楕円球にささげた。近所の東大和市立二中へ進学後は、学校の部活とラグビースクールを掛け持ちする。義務教育終了後は親元を離れ、全国大会の常連である國學院栃木高へ入った。大学は、実家と寮が近い中大を選んだ。
学生生活を振り返る言葉は、「腐ってしまった時期もありました」である。
入学2か月後のトレーニング中に頸椎のヘルニアを発症させ、約3か月間、戦列を離れた。2年時は肝機能の低下を招くEBウイルスにかかり、3年時には右足の後十字靭帯を損傷。その前後にも細かいけがを重ね、モチベーションの維持に苦しんだ。
心を折らなかったのは、周りに支えられていたからだ。頸椎を痛めた時は、周りで故障からの復帰を目指す部員に叱咤された。以後も、立ち止まるたびに高校時代の仲間から電話やLINEで励まされたり、ラグビースクール時代のコーチに食事をごちそうになったり…。
ここで足を止めるわけにはいかない。そう何度も思い直すうち、最終学年を迎えていたのだ。
「最後の年。チーム一丸となって取り組んでいます」
加盟する関東大学リーグ戦1部は例年より約1か月程度遅い10月4日に開幕。前年度8位の中大はその日、同2位の日大と敵地で無観客のもと戦う。もともと国内トップリーグなどでの競技継続を目指していた藤牧だが、現状では一線級の舞台で駆け回るのは今季限りとなりそうだ。
「今回は全試合に出て、チームに何かを残したい」
完全燃焼を誓う。